酵素の老舗はバイエム酵素もあるよ

私は、マニアックというほど深くないですが、もの好きなのは確かです。以前、国会図書館に時々行って、酵素っていつからあるのかなと古い本を探していた時期があります。

今は自宅から国会図書館の蔵書をいつでも検索できる時代です。

しかし、1990年代は、一部蔵書がPC(まだインターネットにつながっていないという意味でスタンド・アローンだった)でデータベース化されていましたが、古い蔵書は、まるで学校の図書室みたいに棚に入っているカードをひたすら手で繰って探していく方式でした。

カードを繰っていくと、ほこりっぽくて古い紙とインクのにおいがして、必ずくしゃみが出て来たのを懐かしく思い出します。

作業自体はとても時間がかかるけれど、宝探しをしているみたいでとても面白かったです。

島本覚也さん

探しているうちに、1956年(昭和31年)発刊の島本覚也著「最新微生物農法」を見つけて読んだことがあります。アマゾンではコレクター(?)向けなのか、ものすごく高い値段をつけて古本が販売されていますが、国会図書館に蔵書があります。

「最新微生物農法」は、昔の本だから旧字が混ざっていましたが、とても情熱的な本でした。手作りで麹を作るところから始め、いくつかの種類の酵素を作るための教科書みたいな本でした。

今のように、飲むための植物酵素の本ではなく、農業用の酵素をつくるのです。しかし、中には飲むことができる酵素の解説もあったように思います。

島本覚也氏が設立した酵素の世界社・島本微生物工業株式会社のサイトがあります。

酵素の世界社、島本微生物工業株式会社は、健康な土づくりとそれにもとづく微生物農法、酵素応用による健康食品の普及指導を行う企業です。

島本覚也氏は、沿革を見ると1946年(昭和21年)島本微生物研究所を設立したとありました。島本微生物工業株式会社は製造会社で、株式会社酵素の世界社は販売会社のようです。

バイエム酵素

食品の酵素は、バイエム酵素が代表的な商品です。

私は知らないのですが、ずいぶん昔に粉ミルク療法というのが流行って、その時にバイエム酵素と五健草と粉ミルクを飲んでいたそうです。その名残か、私がドラッグストアに酵素を買いに行っていた時代には、たいてい置いてありました。私も一度バイエム酵素を買ったことがあります。

酵素の世界社の通販サイト酵素のチカラを見ると、液体から湿った粉タイプの酵素まで何種類もあり、しかもかなり安いです。私はバイエム酵素しか食べたことはありません。しかし、酵素が好きで、酵素サプリなどあれこれためしている方は、一度、買ってみてもよいリーズナブルなお値段だと思います。

大高酵素も古い会社です

さらに、老舗メーカーとしてよく知られている大高酵素の創始者大高登氏についても、検索してみました。

1962年(昭和37年)の日本釀造協會雜誌に大高酵素化学株式会社研究部の論文が掲載されていました。特殊なる酵素飲料中のアミン酸化酵素活性の定量というタイトルでした。この頃に、論文が書かれているので、もっと前から大高酵素ができあがっていたのですね。

会社のサイトを改めて見ると、大高酵素物語がありました。

大高酵素株式会社のオフィシャルサイト/公式サイトです。北海道の恵まれた自然で育てられた、発酵飲料・発酵食品・発酵化粧品などの商品情報や企業情報を掲載しています。創製より80余年、酵素飲料のパイオニアです。

読んでみると、1935年(昭和10年)に大高酵素研究会を立ち上げたそうなので、本当に古い会社です。

大高酵素も酵素の中では買いやすいお値段だと思います。最近、自分が酵素を飲まなくなったのであまり気をつけていないのですが、以前なら、大高酵素を置いてある薬局では、のぼりを立てていたり、ステッカーが貼ってありましたっけ。

酵素はなぜ農業用だったのか?

ところで、老舗メーカーは、初めは農業用酵素に重点を置いていました。そして、酵素という商品は、実に「手作り感」が強い商品です。なぜだろうと思いませんか?

以前、酵素資源余話-酵素のおもしろさを尋ねてという記事を書きました。

酵素資源余話-酵素のおもしろさを尋ねて
酵素資源余話―酵素のおもしろさを尋ねてを読みました。 著者の一島英治氏は東北大学の名誉教授でいらして、50年以上酵素の研究に携...

その中で酵素工業の父といわれる高峰譲吉さんのことを書きました。高峰譲吉さんがタカジアスターゼを発明したのは、1894年(明治27年)のことです。大高酵素研究会を立ち上げる30年以上前に、小麦ふすまに麹を植え付けて発酵させ、酵素(アミラーゼ)だけを取り出すことができる技術はすでにありました。

しかし、ここで話題にしている酵素の「手作り感」は、何か時代を逆行していくような感じを受けます。

その理由は、戦争があったからだと思います。

戦時下はいろいろなものが不足する

1937年(昭和12年)から支那事変が始まり、さらに1941年(昭和16年)には日米開戦となります。そして、1945(昭和20)年に日本の敗戦で終わります。敗戦後の食糧難の話は、子供の頃、祖母から聞かされました。

肥料については、BSI生物科学研究所のサイトに、本邦の窒素化学肥料歴史(戦前編)がありました。当時、食料生産に国内で生産した肥料が追いつかず、輸入に頼っていたことが書かれています。

しかし、戦争が起きると、輸入も止まってしまいます。肥料が不足しても食料は生産しなければなりません。そこで、自給肥料を早く作るために農業用酵素が作られたのだと思います。

肥料が不足すれば、堆肥をつくるしかありません。堆肥の原料は、食物残渣や有機性の廃棄物と糞尿です。十分に発酵させて使わないと作物が枯れてしまいます。発酵のスピードを速めることができれば堆肥を早く作ることができて助かります。

物資が不足している時に、農業者が自分たちで堆肥を何とか早くつくろうとしている、その一つの資材として農業用酵素が求められたのだと思います。

前に酵素風呂のことを書きました。

酵素風呂に入ったことありますか?
酵素を飲んでいる方なら、酵素風呂のことはきっとご存知でしょう?入ってみたことはありますか。もし、一度も入ったことがないなら、ものは試し一度入...

これは、もともとは木くずを発酵させてバーク肥料とするための技術だったのだと思います。木くずはなかなか分解できないですが、酵素風呂のように米ぬかと混ぜて高温になる発酵菌を使うと分解できるようです。分解できると堆肥になります。

大高酵素は、1972年(昭和47年)札幌オリンピックが行われた時に、選手村に酵素風呂を作ったそうです。

私が知り合いになった酵素風呂のご主人も、もちろん大高酵素を扱っていらっしゃいました。

植物酵素について詳しくお知りになりたい方は、まず、酵素について知りたいならまず最初にこのページから読んでほしいをお読みください。

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