ヤクルトができるまで

ヤクルトはどんなアイディアで生まれたのだろうと思っていました。もともとのルーツは大正時代のヨーグルト「エリー」にあり、有名な乳酸菌シロタ株を得て、さらにクロレラからの抽出物を使い乳酸菌数を爆発的に増やしてでき上がったようです。

ヨーグルトドリンク

時知りてこそ: ヤクルト創業者・松永昇を読みました。

この本は、ヤクルト創業者、松永昇さんの評伝です。

西日本新聞(2018/3/14)旧若松町出身のヤクルト創業者 永松昇氏の評伝刊行 元記者井上さん「理想的な川筋男」を読むと、なぜ井上茂さんがこの本を書かれたのかわかります。

私は、ヨーグルトではない、乳酸菌飲料として(多分)一番有名なヤクルトがどのような経緯でつくられるようになったのか、また、子供の頃に何となく見聞きしてずっと記憶に残っている「クロレラヤクルト」とは何だったのかずっと知りたいと思っていました。

この本を読んでよく分かりました。

ヨーグルト「エリー」に学ぶ

大分県宇佐市で生まれた松永昇氏は、昭和3年(1928)、京都の第三高等学校を受験するも失敗。京都に出て再起をかけるものの、網膜剥離となり、進学をあきらめることになりました。

その頃、京都には「エリー」というヨーグルトが毎朝宅配されていました。

もともと医師の正垣角太郎氏が大正3年(1914)に乳酸菌研究所を立ち上げて京都でヨーグルトの製造販売を始めていました。この本には年表がついていますが、カルピスが発売されるのは大正7年(1918)からです。それよりも少し早い。

ヨーグルト「エリー」についてこのように書かれています。エリーは大正14年(1925)から発売されていました。

正垣は、大正十四年、四種類の乳酸菌の共棲培養に成功、新しい乳酸菌強化飲料に「エリー」と名付けて発売した。この名はもちろん心酔したエリー・メチニコフの名前からとったものだ。砂糖溶液を加味してさらに飲みやすくした。

このころ正垣は、研究開発を強化する支援体制づくりとエリーの宣伝普及のために「研生学会」を設立した。正垣を会長に、京都帝国大学微生物学部長の木村廉教授ら大学・病院の研究者、鈴木喜三郎司法大臣、政界の実力者・頭山満など、そうそうたるメンバーが名を連ねている。

ヨーグルトについて、以前詳しく調べたことがあります。

ヨーグルトの成分や乳酸菌の種類と効果について調べてみた
ヨーグルトについて、国際食品規格と日本の発酵乳の規格に違いがあります。日本の方が自由度が高いです。普通に手に入るヨーグルトに使われている乳酸菌と、期待できる効果について調べてみました。

ヨーグルトの国際規格では、ラクトバチルス・ブルガリカス(Lactobacillus delbrueckii subsp. bulgaricus)とストレプトコッカス・サーモフィルス(Streptococcus thermophilus)の二つの菌の発酵によって乳または粉乳などからつくられる乳製品であると定められています。この時代からわざわざ4種類の種菌を使うのはこだわりを感じます。

研生学会に入る

松永氏は、昭和4年(1929)この研生学会に入り、ヨーグルトの製造・配達と新規開拓の営業をするようになりました。

松永氏は、エリーの製造販売で乳酸菌について知識と製造技術を身につけていたのです。ヤクルトのルーツは、エリーヨーグルトだったようです。

その後、京都から大阪に営業の場所を移しましたが、大阪で体調を崩して静養することになりました。その後、九州にもどり、福岡で独立することになります。

ヤクルト研究所設立

昭和10年(1935)福岡市に「ヤクルト研究所」が設立されました。「ヤクルト」とはエスペラント語でヨーグルトのことだそうです。

乳酸菌飲料に種菌として使う乳酸菌は、研生学会時代に面識のあった京都帝国大学医学部に依頼して使わせてもらっていましたが、数ヵ月後、京都帝国大学医学部微生物学教室の代田稔から連絡があり、乳酸菌シロタ株を使わせてもらうことになりました。

乳酸菌シロタ株

有名なシロタ株は、それより前、昭和5年(1930)に培養に成功しています。

ついに昭和五(一九三〇)年、代田は人の腸内で生きたまま良い働きをする乳酸菌の培養に成功、ラクトバチルス・アシドフィルス・シロタ株と命名された。その後の研究で、ラクトバチルス属のアシドフィルス菌でなくガゼイ菌とわかり、ラクトバチルス・ガゼイ・シロタ株(乳酸菌シロタ株)に改めた。

そして、商号を「ヤクルト研究所」から「代田保護菌研究所」に変更しました。

これがヤクルトの始まりですね。

クロレラは乳酸菌の培養につかわれた

もう一つクロレラの話です。ヤクルトは乳酸菌飲料ですが、クロレラは藻。子供の頃の記憶にあるクロレラヤクルトとは何だったのか?

まず、クロレラには、戦後タンパク源として期待されていた歴史があるようです。政府主導で進められたのでしょう。

約50%がタンパク質で、ほかにビタミン、脂質、糖質などの栄養分も豊富である。
そこに目をつけて食糧源としての研究を最初に始めたのはドイツで、第一次世界大戦後の食糧難対策だった。

しかし進展はみられないまま、第二次世界大戦後は、アメリカや日本が食糧化へ積極的に取り組んだ。終戦後、GHQはタンパク質補給食品として、クロレラ活用を真剣に日本政府に働きかけてきた。

乳酸菌を10倍に増やす

ヤクルト研究所でもクロレラを研究していたところ、乳酸菌を増やすことに役立つことがわかりました。

当然、代田のいるヤクルト研究所でもクロレラを研究していた。昭和三十三(1958)年、研究員の武智芳郎は、クロレラ内にある微生物発育促進物質の抽出に初めて成功した。

これを使い、乳酸菌の数を驚異的に増やす培養実験にも成功したのである。従来は一ccあたり約十億個だった乳酸菌が、クロレラを入れると約一〇〇億個にも増えたのである。ヤクルト本社はこの研究成果を踏まえ、昭和三十五年からクロレラで培養したヤクルトの販売を始めた。

昭和35年からクロレラで培養したヤクルトが、「クロレラヤクルト」のことですね。私が子供の頃飲んでいたのは、クロレラヤクルトでした。

この部分を読むと、政府主導でクロレラ研究が進められていたことがわかります。

クロレラヤクルトの発売によって、「クロレラを最初に食品利用した」として、永松は東京都発明功労賞に輝いた。さらに昭和三十七年、武智の研究によって、会長・代田、社長・永松と武智の三人に、三木武夫長官から第四回科学技術庁長官賞が贈られた。

NOTE

私は、ヤクルトの創業者は、ガゼイ・シロタ株を発見した代田博士だと思っていました。

しかし、この本を読むと、現在のヤクルトの爽やかな企業イメージとは違って、会社が大きくなるまでには、かなり人間くさい歴史があったんだなと思いました。

ご興味がある方は本を読んでみるとよいと思います。

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