醤油は金山寺味噌から垂れ味噌、唐味噌を経て18世紀後半に基本的製造法ができた

醤油は、室町時代、金山寺味噌から出た液汁をルーツとし、水で薄めて煮詰めて搾った垂れ味噌、多聞院でつくられていた唐味噌を経て、大麦から小麦だけを使用するようになりました。江戸時代、18世紀の後半に今の醤油の基本的製造法が出来上がりました。

しょう油

醤油のルーツは中国の醤(ひしお/じゃん)にあるとよく聞きます。(味噌も同じです)もちろんルーツは、そうなのでしょう。しかし、あまり古い時代に戻りすぎると、醤油とは違うものになります。そこまでさかのぼっても仕方がありません。

私が知りたいのは、毎日使っている今のスタイルの醤油が、いつから使われているのだろう?ということなのです。

今の醤油の作り方は、以前醤油の作り方-本醸造-という記事にまとめました。作り方はこの通りです。

蒸した大豆(または脱脂加工大豆)と炒って砕いた小麦をほぼ等量ずつ混ぜ、そこに種麹を加えてしょうゆ麹を作ります。それに食塩水を加えて仕込みます。

醤油の始まりは室町時代から作られるようになった金山寺味噌から出た汁

室町時代から作られるようになった金山寺味噌が醤油の発祥だと言われているようです。とても有名な話らしいです。

ネットを検索して、最初に見つかった記事は、化学教育/27巻(1979)1号にあった醤油資料館という記事でした。

室町時代初期,宋より帰朝した禅僧覚心は,紀州湯浅にて,布教活動のかたわら,修得した経山寺味噌を試醸した。

この味噌造りの過程で桶の底に溜った液は,食物を煮るのに適していることが発見され,これを売り出し好評を博したと伝えられており,醤油の発祥とされている。

経山寺味噌とは金山寺(きんざんじ)味噌のことです。金山寺味噌から出てくる液汁が醤油のルーツらしいことが分かりました。

紀州湯浅を調べてみると、現在の和歌山県有田郡湯浅町のことです。湯浅町の「醤油醸造の発祥の地」での歴史まちづくりという文書も出てきました。

金山寺味噌の作り方

金山寺味噌とはどんなものでしょう?株式会社やまだのサイトに金山寺味噌とはというページがあり、作り方が画像つきで紹介されています。

金山寺味噌とは - 金山寺味噌 本場紀州 和歌山 御坊 やまだ
やまだは、米・麦・大豆をはじめとする原材料において国産にこだわり、明治三十九年の創業以来、昔ながらの醸造方法と熟練の技を頑なに受け継ぎ、丹精を込めた手造りの味をお届けしています。
  • 米・麦・大豆を混ぜあわせ蒸します。
  • 蒸し上がったらそれらを合わせ、さらに麹菌を混ぜ寝かせます。
  • その後、塩・砂糖などと混ぜ、その中へ瓜・なす・生姜・シソなどの野菜を入れ、混ぜあわせます。
  • それらを桶に詰め込み重石をして、約半年間熟成させると、やまだの金山寺味噌が完成します。

麦と大豆を合わせているところが今の醤油につながるのでしょうか。確かに、この味噌から出る汁を使えば、おいしく料理ができるだろうなと思います。

味噌を水で薄めた「垂れ味噌」液体調味料の使用

その後、どうなっていったのか?「醤油製造技術の系統化調査」という素晴らしい資料を読むと、こんなことが書かれていました。

室町時代の1487年に出された「四条流包丁聞書」には「垂れ味噌」や「薄垂れ」の言葉が見られ、それらを使った料理が紹介されている。

「垂れ」とか「薄」という漢字は、いかにも「水で薄めた」感じがします。そして、この資料の参考文献を見ていくと、さらにすごい資料が出てきました。

キッコーマン国際食文化研究センターが出している研究機関誌「FOODCULTURE」です。1号~4号まで飯野亮一さんが連載されていた醤油の歴史がとても詳しく読み応えがあります。

たれみそ

たれみそは、水で薄めて煮詰め、布袋で濾して使う液体調味料です。FOOD CULTURE No.3の醤油の歴史 ③にこのように書かれていました。

中世も室町中期になると料理流派の料理書等によって、味噌が煮物や汁物用として盛んに利用されるようになっていることが確認できる。

そして、味噌は「たれみそ」という液体調味料に再加工されてその用途を広げている。

たれみそ(垂味噌)とは、味噌に水を合わせて煮詰め、布袋に入れてつるして得られる液体調味料(垂れ汁)で、江戸初期の『料理物語』〔寛永二十年(一六四三)刊〕には「垂味噌(たれみそ)みそ一升に水三升五合かう入せんじ(煎じ)三升ほどになりたる時ふくろに入たれ申候」と、その製法が示されている。

また、同書には、「生垂(なまだれ)は味噌みそ一升(せう)に水三升入もみたてふくろにてたれ申候也」と、加熱しないたれみそを「生垂」として区別している。

しかし、室町期の史料には「生垂」の用語は見当たらないので両者は区別されずに「たれみそ」の名で一括されていたものと思える。

たれみそは、液体調味料でしたが、味噌を薄めたものなので、まだ、味噌です。醤油らしくなって来るのは、次に出てくる唐味噌(とうみそ)です。名前は味噌ですけれども。

『多聞院日記』の唐味噌

唐味噌は、大豆、小麦(大麦)、塩と水で仕込む液体の味噌でした。多聞院日記が書かれたのは、室町時代から始まり江戸時代に至ります。室町時代は、1338年から1573年までです。

同じく、FOOD CULTURE No.3の醤油の歴史 ③にこのように書かれていました。

『多聞院日記(たもんいんにっき)』は奈良興福寺の塔頭(たっちゅう)多聞院の僧・英俊らによって文明十年(一四七八)から元和四年(一六一八)まで書き継がれた日記である。ここには味噌や醤の製法が具体的に示されていて当時の味噌や醤の実態を知る上で貴重な手がかりが得られる。

味噌に関しては「吉ミソ」「大ハミソ」「唐味噌」などの名とその製法がみられる。このうちの「唐味噌」について注目してみると、まだその製法が確立されてなく、さまざまな工夫がなされているが、煮た大豆と炒って粉にした麦とを混ぜ合わせて麹をつくり、塩水を加えて仕込むといった江戸時代の醤油の製法と非常によく似た方法も取られている。

そして「唐ミソノ汁上了」「タウミソノシル一樽」などとあって完成品は液体状であったことがわかる。原料の配合比率に関しては、唐味噌製造の最初の記録である天文十九年(一五五〇)六月十二日条に「唐味噌今日入了、大豆一斗三升・小麦一斗三升・塩一斗三升・水三斗三升入了、水ハ惣シテ一色ノ升数ノ三倍也」とある。

大豆・小麦・塩は同量で、水は「総じて各原料の三倍」とある様に三種の原料の合計量に近い量になっている。このあとも原料の比率を示す記事は頻繁に出てくるが大体同じである。麦に関しては、小麦の代りに大麦のこともあるが、小麦と大麦が併用されている場合が多い。

味噌とはいうものの、大豆と小麦と塩でできているので、今の醤油にかなり近くなっています。

使う麦が大麦から小麦に変わり18世紀の後半には今日の醤油の製造法が出来上がった

さて、ここで、醤油製造技術の系統化調査に戻ります。この記事では、唐味噌以降、江戸時代の文献に出てくる醤油の作り方を表にしてありました。

唐味噌の大豆、麦、塩の比率が、ほぼ踏襲されているのが分かります。

唐味噌以降の変化は、使う麦が大麦から小麦に変わるところです。後で紹介しますが、本朝食鑑では大麦だったのが、和漢三才図鑑では大麦で仕込むと味が悪いと書かれていて、それ以後、小麦だけを使用しています。

出てくる文献は次の通り。簡単な説明にリンクを貼ってあります。

ちなみに、比較のため、一番下に現代の丸大豆醤油の仕込みが書いてあります。

表2.3 唐味噌と江戸期の醤油の原料等比較表
資料名品名原料配合(%)仕込
日数
圧搾方法備考成立年代
大豆
多聞院日記唐味噌17~1817~18
KO
17~1847~48文明10年
(1550)
料理物語正木醤油19.625.5
KO
15.739.230日小麦を欠くものを
「正木醤」という
寛永20年
(1643)刊
雍州府志くき汁70日余布袋と重石配合割合不明、
俗に醤油という
貞京元年
(1684)刊
日本歳時記醤油19.219.219.242.3貞京4年
(1687)序
本朝食鑑醤油約22約22
O
約22約3430~40日簀子をたて
汲み取る
二番醤油、甘
醤油の製法あり
元禄8年
(1695)跋
和漢三才図鑑18.218.2
KO
18.245.575~100日搾る醤油を桶に入れ
詰める、市販の
もの皆小麦、大
麦で仕込んだも
の味劣る
正徳2年
(1712)序
萬金産業袋20.820.8
K
16.741.7約100日搾る麹蓋使用、袋に
入れて絞木にて
絞る、夏土用仕
込一秋の末よく
享保17年
(1732)刊
新撰包丁梯18.218.2
K
18.245.5約1年布袋にて絞
筵麹(厚さ1.5寸)
灰の利用、5日麹
享和3年
(1803)刊
広益国産考2020
K
204075日籠をたての
ち汲み取る
のち袋に入
れて搾る
杉の葉を焼きて、
その灰を少し糀
の上にふりかけ
ておけば必ず花
よくつく
天保15年
(1844)刊
参考 丸大
豆醤油
約20約19
K
約20約416ヵ月長尺濾布圧
搾機で搾る
1990年~
※K=小麦、O=大麦、「醤油製造技術の系統化調査」

醤油製造技術の系統化調査では次のように結ばれています。

文献上では遅くとも18Cの後半には今日の醤油の基本的な製造法は出来上がっていたと云う事ができる。

つまり、萬金産業袋が書かれた時代に作られていた醤油以降、現在の醤油製造法の基本は出来上がったということです。

本朝食鑑の醤油

ところで、本朝食鑑は口語訳した本があり、現在でも入手可能です。醤油の作り方についてこのように書かれていました。

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この時は、大麦が使われているのが特徴です。ご参考まで抜き書きしておきます。

醤油は近世家々で造っている。その製造法は、大抵好い大豆一斗を水に浸してすすぎ、煮熟(よくに)、別に大麦の春白(つきしらげ)たもの一斗を香しく炒り、礱(いしうす)で磨(くだ)き、羅(ふるい)にかけて粉にする。

先ずこの滓(かす)を煮熟(よくに)た豆に混合して拌匀(かきととの)え、次いで粉を上面に抹(まぶ)し、蓆(むしろ)の上に攤(ひろ)げ、これを罨(おお)って黄衣(きかび)を作り、麹のときと同じように曝乾(さらしほ)しておく。

塩一斗と水一斗五・六升を撹(かき)合わせ、慢火(とろび)で煎じ数十沸させてから桶にあけ、冷えるのを候(ま)って、前の豆と麦の麹に加えて拌匀(かきととの)え、大桶に収め貯え、次の日から毎日三・五回竿で攪拌する。この竿は桶の浅深に随って長短があり、頭には木片を釘づけし、ちょうど柺杖(つえ)が倒(さかさま)になったような形である。

七十五日経つと、中間に簀(すのこ)を建てるが、この簀は編竹である。編竹を蓆のように捲いて圏(かこい)をつくり、中は空(から)にし、上下は洞虚(ほら)にして、ちょうど竹夫人(ちくふじん=だきかご)のような形をつくる。簀を建てると、醤油は簀内に透漏してくる。簀にいっぱいになると、油を汲み取る。これを一番醤油という。

NOTE

今回、調べていて、醤油製造技術の系統化調査(国立科学博物館技術の系統化調査報告 第10集)を見つけましたが、すごい資料だなと思いました。80ページ以上ありますが、発酵食品がお好きな方が読むと楽しめると思います。

また、キッコーマン国際食文化研究センターが出している研究機関誌「FOODCULTURE」も素晴らしいです。

刊行物 | キッコーマングループ 企業情報サイト
刊行物のページです。キッコーマン国際食文化研究センターでは、「発酵調味料・しょうゆ」を基本とした研究活動、文化・社会活動、情報の収集・公開活動などを行っています。

キッコーマン国際食文化研究センターは、「キッコーマン株式会社の創立80周年事業のひとつとして1999(平成11)年に設立された」とありました。また、工場見学もできるようです。

工場見学 | キッコーマングループ 企業情報サイト
工場見学のページです。キッコーマンは、事業・業務に根ざした具体的な食育・食体験活動を実施しています。

コロナがおさまったら、是非、行ってみたいと思います。

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