米麹をつくる時なぜ蒸米を使うのだろう?

アジアの餅麹と日本の米麹を比べると、米麹だけは「蒸した米」に麹菌を植えつけるのです。炊いたご飯でなく蒸米にはカビが着きやすく麹菌にピッタリです。一方、加熱しない餅麹に使う麦穂にはクモノスカビが多く生息し餅麹にピッタリです。そして、稲穂には麹菌が多いです。稲穂につく深緑色のカビは、稲麹としていつの時代からか種麹として使われていました。

米麹

なぜ米麹をつくる時「蒸した米」を使うのだろう?

少し前に日本で米麹が使われるようになったのは10世紀頃か?を書いた時に、米麹をつくる時に「蒸した米」を使うことがかなり珍しいことだと知りました。なぜ、蒸した米を使ったのだろう?そこが知りたいところです。

「論集 酒と飲酒の文化」を読みました。

この本は、1992年から3年間にわたって行われた国立民族学博物館の共同研究「酒と飲酒の文化」で発表された論文を集めた本です。その中に、農大の小泉先生の「米麹の発生と日本の酒づくり―稲麹の周辺からの一考察―」という論文があり、とても面白いのです。

餅麹(もちこうじ)と散麹(ばらこうじ)の違い

この論文にも餅麹と散麹の違いが説明されていました。とてもわかりやすいので、書いておきます。

日本を除くアジア各国の麹(麹食文化圏はアジアのみに存在している)は多くが「餅麹(もちこうじ)」であるのに対し、日本の麹は「散麹(ばらこうじ)」タイプなのである。

餅麹とは、麹の原料となる穀物(主として麦類や高粱(コーリャン))を粉にしてから水で練り、これを手でこねて団子型や餅型、煎餅(せんべい)型に成形して、加熱せずに生のままで室(むろ:麹を造るための部屋)に入れ、カビを繁殖させて麹とするものである。

これに対して散麹は原料(酒の場合は米、醤油や味噌の場合は小麦や大豆)を粉にせずそのまま粒の状態で蒸してから、これに麹カビの胞子(種麹:たねこうじ)をまいて室に入れ、この麹カビの繁殖によって麹を得るものである。

餅麹は一般に小型の餅のような形をしているのでそう呼び、散麹はバラバラの粒状であるのでこう名づけられたが、日本の麹だけが散麹であるのは実に興味をそそられるところである。

餅麹は酒づくりの方法として中国朝鮮から日本に入って来たとされています。お手本があれば、まずその通りにつくるのが一番楽で確かな方法です。

日本で餅麹が広がらなかったのは、ごく普通に考えると、何か問題があったからなのでしょう。

散麹は日本で自然発生的に生まれた

小泉先生は、散麹と餅麹の違いについて、こんな考えを披露されています。お米をそのまま炊いて食べる日本人は、確かに、まずお米を粉にしようとは考えないですね。反対に、粉にしてから調理するのが習慣になっていれば、まず、粉にすることを考えるのも自然だと思います。

民族の酒の製造法は、多くの場合、その民族の主食の加工法や調理法に一致するものである。この観点からすれば、米を粒で食べる粒食民族日本人は散麹の酒を持ち、小麦や高粱を粉体とし、包子(パオツ)、饅頭(マントウ)、麵(ミエン)のように焼いたり蒸したりして食べる粉食民族の中国では餅麹の酒を持つというのも、当然のことのような気がする。

ただ、この説明だけでは、蒸したご飯から散麹をつくることにはつながりません。餅麹は、粉にして水で練って餅のように形を作り、蒸したり煮たりしないで生のままカビを生やします。

米を粉にしないでそのまま使うことと、蒸すことはかなり大きな違いです。

小泉先生は、日本の散麹は、餅麹をお手本にしたわけではなく、日本のオリジナルだと考えています。日本酒は、大陸から酒造りの技術が入って来て造られた説と、この国独自に発生した説があり、まだ決着がついていないそうです。

小泉先生は、この国独自に発生したと考えているのですね。

日本の散麹の発生は、他の国々とは別個に、米の粒食とともに日本特有の湿潤な気候と相まって自然発生的に起こったと解したらどうであろうか。だとすると、その製造法は気候風土と微生物発生状況、そして主食調理法などが巧みに融合した形で、そこに日本人の独創性が加えられて事がなされ、民族の酒の誕生に至ったということになりはすまいか。

小泉先生は散麹に蒸米を使う意味をこんな実験で説明されます。

蒸米を放置するとカビがつきやすく中でも麹カビが多い

テレビで日本酒を仕込むところを見ることがありますが、必ず米を蒸しています。食べるごはんのように炊いていません。その理由が分かりました。麹カビがつきやすくなるのです。そして逆に餅麹に必要なクモノスカビはつきにくくなります。

湿度と気温の高い六月を選んで煮米、焼米、蒸米(強飯)を放置しておいたところ、強飯にのみカビの発生が著しく、それらのカビは麹カビが圧倒的に多いことを知った。これは強飯には選択的に麹カビの繁殖がおこること(強飯への麹カビの自然発生)を意味する。

その理由をさらに追求したところ、含有する水分量の違いと蒸すことによって米のタンパク質の一部が熱変性を起こし、クモノスカビが分解しにくいものへと変わってしまったために増殖しにくくなっている(カビはタンパク質をそのまま栄養源として摂取することはできず、これを分解してアミノ酸としてから体内に取り込むのである)反面、麹カビはその変性したタンパク質を何の苦もなく分解して、旺盛に生育できるということがわかった。

この実験では、普段使っている米麹、散麹をつくるには、蒸米が一番よいことがわかりました。そして、クモノスカビの増殖にはよい条件ではないので、蒸米を使うのは麹カビを増殖するための条件になります。

次の実験を読むと、餅麹は小麦や高粱を生のまま使う理由がわかります。

餅麹に使う麦穂にはクモノスカビが多く生息し、稲穂には麹カビが多く生息する

収穫したばかりの麦穂には、クモノスカビの胞子がたくさんついていることがわかりました。なるほど、生のまま粉にして水で練るとすぐにカビが生えそうです。

二つ目の実験はこうである。餅麹を造る場合、原料の小麦や高粱を粉体とし、これに水を加えて練ってから無蒸煮のまま麹室でカビを発生させることから、あるいは麦類や高粱といった餅麹圏の原料には、自然界での栽培の段階ですでにクモノスカビが多量に付着しているので、それを生かすために原料の加熱処理をしていないのではなかろうか推察した。

そこで実際に収穫したばかりの麦穂からカビの分離を試みたところ、圧倒的多くのクモノスカビの存在が確認されたのである。

麦穂一〇〇ミリグラム(耳かきほどの小さな杓に一盛りという少量)当たりクモノスカビの胞子が平均二万個であるのに対し、麹カビはたったの二〇個と、実に一〇〇〇倍もの大差であった。(中略)

これに対し、稲の穂で同じような実験を行ってみると、そこには非常に多くの麹カビが生息していたが、クモノスカビはほとんど検出されないことも判明した。

この部分を読むと、クモノスカビを使った餅麹をつくるには、米ではだめだろうなと思います。米から餅麹をつくっても、クモノスカビがほとんどいないので増えません。

では、稲穂に多く生息する麹カビは、米を生で砕いて粉にして餅麹にしてうまく使えたのかというと、おそらく使えなかったので蒸米を使うようになったのだと思います。果たして生の米から麹菌を取り出す方法はあったのだろうか?と思いますね。

ところで、餅麹のことを書いて来ましたが、餅麹を使って具体的にどのように酒造りをするのだろう?と思いました。

餅麹から酒をつくる一例-マッコリ

少し脱線しますが、餅麹を使った酒の仕込みを調べました。

おいしいオキナワ 沖縄民俗遺産と観光情報というサイトの泡盛の現在に、マッコリの麹を学ぶという記事がありました。この記事で、マッコリの餅麹づくりと、マッコリの仕込みを写真で見ることができます。マッコリの餅麹は、小麦粉でつくります。

金井山城マッコリの麹造りは、「麹之郷」という看板のかかった小さな小屋で行われています。(中略)

挽いた小麦に水を加えて三時間ほど練り上げます。これを小さなボールにとり分けて、四角い手拭のような布でくるんで、足で踏んで上手に円盤状に仕上げます。(中略)

これを、かつてはオンドルの効いた麹室の棚に一枚ずつ並べて一週間ほどおくと、麹室に住み着いた麹カビが付着して「餅麹」になりましたが、いまはガスを利用して温度をいます。

ここは、「温度を管理しています」でしょうか?この後、餅麹を砕いて、蒸した米と水を加えるのは、日本のお酒と変わりません。

マッコリの醸造過程をみてみましょう。まず米を水に入れて一時間ほど洗います。つぎに洗った米を蒸篭(セイロ)で蒸し上げたのちに、飯台に移してよく冷まします。同時に円盤状の「餅麹」を石臼などで砕いて、米と麹を合わせて、よくなじませます。

醸造タンクに金井山城の地下水をはり、米と麹を加えて、24度から28度のほどよい温度に管理し、途中、丁寧に攪拌して、ガス抜きを行い、一週間ほど寝かせるとマッコリが出来上がります。

餅麹も蒸した米を糖化させアルコールにするもとになります。一方、散麹も蒸した米を糖化させるのですが、散麹自体が、蒸した米に麹菌をつけたものです。今は、種麹屋さんから買った種麹をパラパラと撒いてつくっていますが、この種麹のもとは何だったのでしょう?

いつの時代からあるのか、自分で調べてもはっきりわからなかったのですが、稲麹というのがあります。

稲麹が種麹として使われていた

稲穂に自然につく深緑色のカビは稲麹といわれ、種麹として酒造りに使われていました。しかし、稲麹は、「稲麹病」と呼ばれ、麹カビではない、 Ustilaginoidea virens が原因菌であることがわかっています。

とはいうものの、実験の結果、この菌は麹菌と共生することができ、深緑色のカビから、酒造用の麹菌 Aspergillus oryzae を分離することができました。また、稲麹から酒を試醸すると普通の酒に近いものができました。

小泉先生は、これが散麹の原形ではないかと考えています。

稲麹は稲穂につく深緑色のカビ

稲麹は、ごく自然に見られるカビだそうです。

稲麹とは水田の稲の穂にできる深緑色のカビの塊のことで、今日でも稲作水田に行って注意深く観察すると、ごく自然に見られる次頁(注:省略)の写真に示したようなものである。

どのようなものかウイキペディアの稲こうじ病に画像があります。確かに緑色のカビに見えます。

稲麹を種麹として酒造りをしていた

稲麹を採取して種麹とし、蒸米に植えつけて散麹をつくっていたのです。なぜ、これを種麹として使おうと考えたのかは謎です。わかりません。また、いつの時代から始まったのかもわかりません。

水田から稲麹を採取してきて、それを種麹として酒造りをしたという、今から考えれば実に原始的な方法が本当に行われたのであろうか。

これについて知るために、筆者は全国をまわり歩く種麹製造メーカーの社員や各地方の杜氏の方々、各県の醸造、食品試験場の研究者の方々等に依頼して、過去そのような話を聞いたことがあるか否かについて、主に酒造会社、種麹製造業者、糀製造店経営者、味噌・醤油醸造会社を対象として調査を試みた。(中略)

例えば山形県の糀屋の例は大変に具体的なもので、第二次大戦前までは、その方法で麹を造っていたこと、方法は水田から稲麹を採取してきて、これに木灰を加えて約半月間置いた後、それを元種として長く老(ひ)なした麹を造り、その胞子を種麹としたというものである。

ところが、稲麹は麹菌の集まったものではないのです。

稲麹ができるには麹菌ではない原因菌があった

稲麹は、病原菌が原因で起きる病気です。見た目がカビなので麹カビと似ているのですが、別な菌が原因になっていることがわかっています。

ところで、あの暗緑色の罹病を植物病理学では「稲麹病」(Ustilaginoidea 病)と呼び、すでに一八七八年にM.C.Cookeがこの病気は Ustilaginoidea virens によるものであるとし、その後一八九六年に Y.Takahashi が、稲麹病をこれに似た黒穂病と区別するためにUstilaginoidea virens(Cooke)Takahashiとして今日に至っている。

子嚢胞子のほかに厚膜胞子を造り、胞子は発芽すれば菌糸を造り、これに分生胞子を着生するから麹菌とは大変よく似ているが全く別種のものである。

麹菌と似ていても別の菌なら、酒造りができるわけがありません。でも、稲麹はじっさいに酒造りに使われていたのですから、麹菌と関係があります。

原因菌と麹菌は共生できて蒸米の中では麹菌の方が繁殖しやすい

稲麹病の原因菌は、麹菌と共生できるので麹菌も深緑色のカビの中で生きています。そして、このカビを種麹として蒸米に使うと、原因菌は増殖できず、麹菌が増殖するので、散麹(米麹)ができ、酒造りもできました。

さて、この稲麹病がU. virensの菌叢としたら、果たしてなぜ稲麹で酒造り用の米麹が出来るのかは大きな疑問となってくる。それは酒造用の麹は Aspergillus oryzae によりもたらされることは、麹によって酒造りが始められた時から不変の事実であるからである。

そこで筆者らは、次に実際に稲麹を入手して、その中から Aspergillus属が分離されるか否かを見当してみた。(中略)

その結果、稲麹からは多数の U. virens のコロニーが出現するのと同時に、 A. oryzaeもそれに混じって分離されることがわかった。(中略)

中でも U. virensは酵素の力価が大変弱く、蒸米には増殖が困難であるのに対し、そこに共存する A. oryzae はよく繁殖すること、 U. virensは摂氏三五度以上の温度になると最適の培地でも生育が著しく阻害されること、平板上で両菌を混合培養しても互に拮抗生は持たず、仲良く共存できることなどは興味深いものであった。

また実際に稲麹を種麹として清酒の試醸も行ってみたが、普通の清酒に近いものを得ることができた。

なぜ稲穂のカビを種麹として使ったのか?その理由がわかると、散麹は、餅麹を砕いて蒸米に混ぜる工程と同じようなものだと思えて、蒸米を使うことが変わったことだと感じなくなるような気がします。

NOTE

以前、豆味噌と米味噌が登場したのはいつ頃か?という記事を書きましたが、その中で、米麹は平安時代の末期から室町時代にかけて量産されるようになった話を書きました。

豆味噌と米味噌が登場したのはいつ頃か?
普段使う味噌は米味噌、豆味噌、麦味噌です。これらがいつの時代から作られるようになったのか知りたいと思いました。豆味噌は奈良時代から作られるようになったようです。米麹が量産できるようになったのは、種麹が発明された平安時代の末期から室町時代にか...

この時参考にしたのが、小泉先生の、日本の伝統的食品と発酵の神秘という記事です。種麹の発明は平安時代の末期から室町時代にかけてのことで、もともとは稲麹をもとにしています。

稲麹を水田の稲穂から集めてきて、それに草木を燃やした後に出る灰を大量に加えて置いておいた。それを1年も経てから蒸した米の上から撒いて筵(むしろ)をかぶせたりして保温しておくと、蒸米の表面には麹菌だけが繁殖して立派な米麹が出来上がった。

稲麹の利用は、平安時代の末期には始まっていたようです。

稲麹採取には注意して

稲麹に興味を持ってネットで検索していくと、意外と多くの方が稲麹を採取していました。小泉先生は、論文の終わりにこのように書かれています。

昔はアフラトキシンのようなカビ毒については研究されていなかったので、自然界から稲麹を無意識に採取してきて使ったが、筆者らの実験では稲麹から分離した Aspergillus属の中にそれを造る株は存在しなかった。(中略)

筆者らはこの稲麹に関して一連の研究を遂行するに当たっては、特にこの微生物毒の生産に対しては格別の注意を払ってきた。もしこのような実験を行う場合には、慎重のうえにもこの点に留意しなければならない。

アフラトキシンはAspergillus属のつくる毒です。麹菌は心配ありませんが、稲麹の中に毒をつくるカビが入っていないとは言えないので、気をつけてください。

タイトルとURLをコピーしました