豆味噌と米味噌が登場したのはいつ頃か?

普段使う味噌は米味噌、豆味噌、麦味噌です。これらがいつの時代から作られるようになったのか知りたいと思いました。豆味噌は奈良時代から作られるようになったようです。米麹が量産できるようになったのは、種麹が発明された平安時代の末期から室町時代にかけてだそうです。米味噌が作られるようになったのは平安時代の末期以降のことです。

味噌のルーツは醤(じゃん/ひしお)にありとよく聞きます

味噌のルーツは中国の醤(じゃん、ひしお)にありとよく聞きます。きっとそうでしょう。たまに麻婆豆腐を作るので、うちの冷蔵庫にはいつも豆板醤(とうばんじゃん)と甜麺醤(てんめんじゃん)が入っています。豆板醤はそら豆、甜麺醤は小麦粉が原料で、日本の味噌とは違います。

私が知りたいのは、日本の米味噌、麦味噌、豆味噌についてです。これらがいつからできたのか知りたいのです。

資料を探していたら、日本釀造協會雜誌/63 巻 (1968) 3 号には味噌醸造の100年に寄せてという記事がありました。

「醤」と「鼓(シ)」について簡単に説明してくれているので、この話から紹介しましょう。

味噌の発明は酒と同じように遠く歴史時代を逆のぼるものですが,中国の周王朝(前700年)や孔子の論語,史馬遷の史記等に「醤」という名前で,初めて歴史に顔を出します。これは,肉や骨等を叩きつぶし,塩と美酒を交ぜて瓶に封じ,100日で熟成するというもので,その用途はお料理の調味料でした。

その後大豆の耕作が始まる頃には,大豆を主原料にした「鼓」というものが現われ農家の食品にされました。(中略)

ところが日本に渡来したものは,醤は金山寺味噌,鼓は大徳寺納豆,浜納豆と,それぞれ日本文化の洗礼をうけて姿や形を変え,日本の味噌に合流して,たちまち家内工業に進み市場の商品に発達します。

日本の歴史に現われると問もなく天平時代(800年)には早くも尾張,隠岐・駿河の諸国から農家の租税に取立られ,朝廷貴族の御用に,寺社の俸給に配分されています。平安朝には京都の東西市場に醤店,味噌店がおかれ,志賀味噌,飛騨味噌,河内鍋又の味噌と地方物産とされ,贈答品に用いられた記録も遺っています。

「醤」は「肉や骨等を叩きつぶし」とあるように、もともと味噌とは別ものだったもののようです。「鼓(シ)」は大豆を主原料にしたものだと初めて知りました。そういえば、豆鼓(トウチ)というのがあったなと思ってアマゾンで調べたらありました。

黒大豆が原料だそうです。

どんな味噌だったのか分からないですが、天平時代とは729年から749年のことで奈良時代です。この頃に味噌が作られ始めたらしいことがわかります。ちなみに、800年だと平安時代になります。8世紀と書きたかったのではないかと思います。

奈良時代、豆味噌が先に登場したようだ

日本の一部の地域でしか作られていない豆味噌は、朝鮮半島にルーツがあると知られていますが、味噌としてはこちらが先だったようです。

味噌を科学するにこのように書かれていました。

米味噌は平安時代後期から?

わが国の味噌造りは、飛鳥時代(6世紀末)に朝鮮半島から渡来した高麗人が、尾張、美濃、近江地域でその製法を伝えたのが始まりであり、その味噌は大豆だけを使用したいわゆる「豆味噌」であった。

その後、平安時代後期になると、稲作の普及とともに米麹を使用した「米味噌」が造られ始めた。また、米を入手しにくい地方では、「麦味噌」が造られた。当時の味噌は、そのまま舐めたり、豆腐や野菜に塗る「なめ味噌」であり、一部の上流階級の人のロにしか入らなかった。

豆味噌は飛鳥時代からで米麹を使った味噌が平安時代後期と書かれています。豆味噌は愛知、岐阜、三重あたりで作られていますが、これを読むと近江にも豆味噌文化がありそうですね。

もう少し豆味噌について書いた資料を探しました。

日本釀造協會雜誌/64 巻 (1969) 9 号の豆味噌醸造の概要には、このように書かれていて、豆味噌の歴史の古さを感じます。奈良時代ですね。

味噌の歴史については天平勝宝5年(753年)唐の僧鑑真が来日の際,その製法を伝えられたという説もあるが,豆味噌についてはさらに歴史が古く,天平2年(730年),東大寺の古文書中に尾張の国より味噌が献上されたとある。

尾張,三河平野を中心とした地域で,大豆を原料とし米麦は使用せず,老熟した種こうじ菌を丸大豆に付け,大豆その物を発酵させる製法が,他の味噌とは異なった風味を持たさせ,これが当時の人々の口に合い珍重されていたようである。

どうやら、奈良時代に豆味噌が登場し、その後、米麹(あるいは麦麹)を使用した米味噌・麦味噌が出てくるようです。

米味噌って、米麹が使えるようにならないとできないよね

米味噌の歴史をかなり時間をかけて探しましたが、なかなかこれといったものが出てきません。手がかりは、「平安時代後期から」なのですが。

ところで、米麹を茹でた(あるいは蒸した)大豆と一緒に発酵させるという米味噌の作り方、これは米麹が広く使われるようにならないと、アイディアとして出てこないと思います。

米麹は時々買って来ますが、別においしいものではありません。甘酒にすれば別ですが、単独では食べ物になりません。

きっと(人の欲望の順番として)酒づくりに使われるようになってから味噌にも使われるようになったのではないかと思います。

米麹は平安時代の末期から室町時代にかけて量産されるようになった

いったい、米麹はいつから使われるようになったのか調べてみると、農大の小泉先生の日本の伝統的食品と発酵の神秘という記事が出てきました。

この中に、実に興味深いことが書かれていました。まず米麹が量産されるようになったのは、平安時代の末期だそうです。上で読んだ味噌を科学するに書かれていた、米味噌は平安時代の後期からという話と一致します。

米麹が量産されるようになったのは、種麹が発明されたからです。

ウイキペディアで平安時代を調べると、『延暦13年(794年)~ 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃』とあるので、豆味噌が作られるようになったのが720年頃だとすると、米味噌が作られるようになったのは、(ひょっとして)300年くらい後のことなのかもしれません。

種麹の発明

とても面白いので少し長いですが、書き写します。

さて、平安時代の末期から室町時代にかけて、発酵食品を作る上で画期的な発明があった。「種麹(たねこうじ)」である。蒸した米に麹菌を繁殖させ、それを長く続けると麹菌は多数の胞子を着生するから、それを絹製の篩(ふる)いでふるって米粒と胞子を分け、胞子だけを多量に集めて乾燥し、保存することを考え出したのである。

こうすることにより、得られた胞子を蒸した米や煮た大豆に撒(ま)くことによって、自由な時、いつでも安全確実に多量の米麹や大豆麹を得ることが可能となり、酒や醤油や味噌の大量生産につながった。

ところがこの種麹の発明の裏には、驚くべき巧妙な知恵が潜んでいたのである。というのは、種麹を発明するきっかけとなったのは、意外にも水田の稲穂に着く「稲麹(いなこうじ)」または「稲玉(いなだま)」(「稲霊」とも書く)と呼ばれた深緑色の玉であった。

今でも水田の稲穂につくことがあるので見かけることができるが、その玉は2種類の微生物の胞子が集まってできている。すなわち麹菌(Aspergillus oryzae)と植物病原菌の一種ウスチラジノイデア(Usutilaginoidea virens)である。

ところが大昔、ある知恵ものの一人がこの稲麹を水田の稲穂から集めてきて、それに草木を燃やした後に出る灰を大量に加えて置いておいた。それを1年も経てから蒸した米の上から撒いて筵(むしろ)をかぶせたりして保温しておくと、蒸米の表面には麹菌だけが繁殖して立派な米麹が出来上がった。ウスチラジノイデアはどうなってしまったのかというと、強い殺菌性を有する灰に滅ぼされてしまい、もはや生育することはできない。

面白いことに麹菌は、灰に死滅させられることがないどころか、むしろ灰が大好きで生育に利用しているほどなのである。今日の種麹屋がそれを製造する際、今でも木灰を必ず使用するのはそのためなのである。

ともかく今から千年近くも前に種麹屋という知恵者が灰を使って麹菌のみを純粋に培養し、それを「種麹」という名のスターターとして商品化し、それを醤油屋、味噌屋、造り酒屋、甘酒屋などに売っていたのであるから驚くべきことである。

米味噌は種麹が発明されて米麹が量産できるようになった平安時代後期から

さらに伝統食品の知恵という本には次のように書かれていました。柴田書店は料理関係の出版社ですが、味噌の記事を書かれていたのは、ライターさんではなく、(当時)東京農大の教授だった好井久雄先生です。

小泉先生の書かれた記事を読んだ後なら、書かれていることは、味噌を科学するの内容と変わらないものの、納得できます。

米を原料とする米麹を使った米味噌は、全国の味噌の生産の約八〇%を占め、今日、味噌といえば米味噌のことを指すほどである。前述したように、味噌のルーツは豆味噌で、米味噌が造られるようになったのは平安朝後期、稲作が普及するにつれて、米麹作りが始まってからとされている。

米味噌は、種麹が発明され、米麹が量産できるようになった平安時代後期以降であると思っておきましょう。

NOTE

米味噌の歴史はどうやら平安時代後期以降であると分かりましたが、もともと大豆だけで味噌を作っていたのに、大豆を米麹で発酵させてみるというアイディアが斬新です。

どうしてこんなアイディアを思いついたんだろう?米麹は、どう考えても酒をもっと(たくさん)飲みたいという欲望があり、作られるようになったのだと思います。

それと米味噌がどう結びつくのか、ちょっと考えたくらいではわかりません。食品の歴史は面白いなと思います。

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