日本人はいつから味噌汁を飲んでいるのか

日本人が味噌汁を飲み始めたのは鎌倉時代からです。最初は武家や寺院など。庶民が飲み始めたのは室町時代から。戦国時代に兵糧として信州味噌、三州味噌、仙台味噌ができあがりました。江戸時代、米麹が多い甘味噌が上等品とされました。江戸時代の旅人は、納豆汁に豆腐を入れるタンパク質のトリプル摂取でスタミナをつけていたようです。

味噌汁は減塩のため飲まないなんて人もいるそうですが、味噌汁はおいしいし、飲むとホッとします。味噌汁はいつからあるんだろう?最近、タンパク源になるんじゃないかなんて思っていたので、そのことも併せて調べました。味噌汁、飲みましょう。

味噌汁を飲み始めたのは鎌倉時代から

味噌業界の現状と将来にはこのように書かれていました。味噌汁を飲み始めたのは鎌倉時代からだそうです。

奈良平安時代は上流社会の食べ物であった味噌は,鎌倉時代になると武家や寺院 などで,味噌汁として食されるようになり,蛋白質の重要な供給源となる。

米や雑穀の飯を茶碗に山盛りとし,味噌汁に漬け物といった一汁一菜が武家社会を中心とし構成されたのはこの頃とされている。

室町時代にようやく庶民の日常の食べ物として味噌汁が食されるようになり、汁かけ飯、味噌水(雑炊)などが一般的となる。(中略)

一般人が味噌汁を飲み始めたのは室町時代からだと覚えておきましょう。

戦国時代に兵糧として信州味噌、三州味噌、仙台味噌ができあがる

米と味噌は兵糧として不可欠であった。この時代、信州味噌、三州味噌(八丁味噌=豆味噌)、仙台味噌のスタイルが出来上がったようです。仙台味噌は米麹の使用量が少なく保存性に優れていたことはよく知られています。

戦国時代は兵糧として米とともに不可欠のものとなり、武田信玄、徳川家康、伊達政宗など多くの武将たちにより味噌作りの技術は工夫され,今日の信州味噌,三州味噌,仙台味噌の基が出来上がる。武田信玄は信濃遠征に備え,農民に大豆増産を促し,味噌作りを奨励した。

伊達政宗は軍用味噌を他に頼らず自給しようと考え,城下に日本最初の味噌工場と思える「塩噌蔵」と呼ばれるものを建てた。また天下を取った信長,秀吉,家康はいずれも豆味噌どころの出身である。

江戸時代に入ると,本格的な工業生産も始まり,いろいろな味噌が作られるようになる。元禄期の江戸の人口は50万に達し,江戸の生産だけでは需要をまかなえず,仙台味噌や三河の三州味噌が海路江戸に運ばれるようになる。

江戸で一番広く愛用された味噌は仙台味噌のようで,その他では埼玉の麦味噌(通称田舎味噌),江戸の甘味噌などが市場の中心であった。

江戸で人気があった仙台味噌は、今でも品川区大井町で作られています。

大井町仙台味噌醸造所
大井町に行った。仕事の他に目的はもう一つ。味噌を買いに行ったのだ。大井町には仙台味噌の工場がある。先日、知人から自家製味噌を分けてもらったのだが、それがとてもうまくてスーパーでは買えない?味噌を買いたくなったのだ。大井町の商店街を抜けたとこ

江戸時代の味噌は米麹が多いものが上等品

江戸時代の食生活を知るためによい本があります。本朝食鑑(ほんちょうしょくかん)といって元禄時代に人見必大(ひとみひつだい)によって書かれた本です。

『本朝食鑑』収録の食養生記事に関する分析調査に本朝食鑑のわかりやすい紹介がありました。

『本朝食鑑』は,全12巻の大作で,元禄10年 (1697)刊行,著者は人見必大(元禄14年,60歳で没)である.

必大の父元徳は小児科医,兄友元は儒学者として幕府より重んぜられ,必大自身は医者として父の跡を継いだ.本書は,近世初期に中国より渡来した明の李時珍著,『本草綱目』に深く影響されながらも,著者自身が叙述しているように,庶民の日常食を中心とする現実の食生活をみつめたうえでの記述がなされている.

そのため,編集当時における食生活の実態を把握するうえで重要な資料のひとつと評価できよう.

もともと漢文の本なのですが、現代語訳された本があります。

味噌が収められているのは、本朝食鑑 1です。

お金持ちは米麹を多く使う上等品を作った

江戸味噌は米麹を多く使う甘味噌です。本朝食鑑にも米麹が多いものが上等品だと書かれていました。引用しませんが、豆味噌は下等品だと書かれていました。大家(たいけ=お金持ち)は自分の家で上等品を作っていたそうです。

[集解]味噌は、我が国で毎日用いる汁である。黄白大豆を用いて造る。(中略)

この方法に上・中・下の三等級があり、大抵(ふつう)麹を多く使うのを上とする。粒の大きい大豆一斗、精白した米麹一斗五・六升あるいは一斗七・八升、白塩二合余を合わせて造るものが上等品である。しかし腐敗し易く、数ヵ月で腐敗しはじめ、一年ももたいない。

ながらく貯蔵したければ、加える塩を二倍にする。(中略)中等品は、好い大豆一斗・精白した米麹一斗余・白塩二合余を合わせて造る。これは年を経ても貯蔵ができる。下等品は、精白しない麹であり、合わせる麹の量も少ない。これも年月を経て貯蔵するのに好いものである。

大家の厨(くりや)では悉(ことごと)く上等品を造るが、夏月は一・二ヵ月で、冬月には四・五ヵ月で造醸する。これを新旧相遂うて用いる。中・下等品は、一家の侍僕に用いる。士商の家では、貧富に随ってそれぞれに応じたものを造り用いる。

最後の段落で、貧富の違いで作る味噌が違っていることがわかります。

現在の感覚だと、長期熟成の方が価値があると感じるのですが、米麹を多く使うと「腐敗し易い」「数ヵ月で腐敗」するのに上等なのは、きっとおいしいからだと思います。

一昨年から、丸の内タニタ食堂の減塩みそをよく買っているのですが、この味噌は米麹が大豆に対して2倍量となる「江戸味噌」です。とてもおいしいのです。

江戸時代の旅人は納豆汁に豆腐を入れる

農大の小泉先生の賢者の非常食にはこのように紹介されていました。

納豆汁に豆腐を入れて飲んでいたそうです。小泉先生の書いたものを読むといつもお腹がすいてきます。

味噌汁は、江戸時代の旅人の「元気の素」でした。江戸から京都まで、東海道五十三次を歩いた旅人はどんなものを食べていたのか、少しお話ししてみましょう。

今の東京日本橋からスタートする東海道には五三の宿場がありましたが、総延長約五〇〇キロですから平均して一〇キロ弱で一つの宿場です。一〇キロ弱(二里半)という距離は、昔の旅人なら軽々と歩きますから、宿場があるたびに休んだりせず、いくつも飛ばして歩き続けました。

驚くのは、江戸時代の旅人が宿を出る時間です。早い人で午前二時、普通でも午前三時、まだ夜が明けないうちから歩き始めていました。そうしていくつもの宿場を踏破(とうは)し、午後二時にはその日宿泊する宿で草鞋(わらじ)を脱いでいたのです。

一日に五〇キロも六〇キロも歩いた彼らのスタミナ源は何だったのでしょうか。それは、豆腐を具にした納豆汁でした。彼らが宿で飲む味噌汁には、決まって納豆と豆腐が入っていて、何と三種類の大豆食品を汁にして食べていたのです。大豆には肉と同じくらいのタンパク質がありますから、タンパク質のトリプル摂取です。

つまり大豆=肉としますと、この豆腐を具にした納豆汁は、肉汁に肉を入れ、さらに肉を加えるという驚くべきスタミナ食です。これを一日三杯飲むと、現代人が一日に摂取する肉などの動物性タンパク質とほぼ同量のタンパク質を摂取したことになります。

味噌、納豆、豆腐それぞれのタンパク質の量

味噌と木綿豆腐、納豆、そして、本には出てこなかったですが、ついでに油揚げのタンパク質量を調べました。味噌汁1杯に使う味噌の量は、約16gです。

100gあたりの
成分量
たんぱく質
米みそ/甘みそ9.7g
米みそ/淡色辛みそ12.5g
米みそ/赤色辛みそ13.1g
麦みそ9.7g
豆みそ17.2g
木綿豆腐7g
糸引き納豆16.5g
油揚げ/油抜き/生18.2g
※日本食品標準成分表2020年版(八訂)

豆味噌16g、納豆25g、豆腐100g、油揚げ10gで計算

こういうのは一度ためしに計算してみるに限ります。今、豆味噌16g、納豆25g、豆腐100g、油揚げ10gで味噌汁を作ったと考えて、タンパク質量がどのくらいあるのか計算してみましょう。

豆味噌(17.2×16/100)+納豆(16.5×25/100)+豆腐(7)+油揚げ(18.2×10/100)≓15.7(g)

この数字は、肉100gあたりのタンパク質と変わりません。

NOTE

私はもともと味噌汁が好きなのですが、味噌汁っていいなあと思ったのは、自転車で長距離を走っている時でした。体が温まって疲れがとれるのです。甘いものやコーヒーではこんなことはありません。

それがわかってから、自転車で走ってくたびれた時は、必ずコンビニでインスタント味噌汁を買ってお湯をもらって飲んでいます。

少し前に糖質の少ない味噌は豆味噌という記事を書きました。

糖質の少ない味噌は豆味噌
糖質の少ない味噌は、八丁味噌のような豆味噌です。大豆に麹を植えつけて味噌にするので、糖質の多い、米麹や麦麹を使いません。そもそもゆでた大豆には糖質がほとんどありません。豆味噌で味噌汁を作ると、1杯当たりたんぱく質が2.7gあります。コップ1杯の牛乳はたんぱく質が6.6g。牛乳の方が多いですが、味噌汁を食事ごとに飲むとすると、たんぱく源となります。

豆味噌はタンパク質が多く、糖質はかなり少ないです。記事を書き終わった時、味噌汁はタンパク源として牛乳くらいになりそうだと思ったのです。しかし、今回の記事を書くために小泉先生の本を読むと、味噌汁に納豆と豆腐を入れると、肉を食べたのと同じぐらいのタンパク源となる話を読んで、なるほど!そんな方法があるのかと思いました。

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