白味噌は平安時代からつくられていた

白味噌は米麹を多く使い、1週間から10日ほどの短期間で出来上がる味噌です。歴史的に新しい味噌かなと思ったら平安時代からありました。白味噌は上品で贅沢な食材であったそうです。

白みそ

白味噌はあまり食べたことがないので興味がほとんどなかったのですが、ふと、いつからつくられるようになったのだろうと思いました。

日本釀造協會雜誌/68巻(1973)9号に味噌風土記京都という記事がありました。

白味噌は平安時代からつくられていた

白味噌は米麹をたくさん使います。米麹をたくさん使う江戸味噌は、その名の通り江戸時代につくられるようになったのですが、白味噌は平安時代にすでにつくられていたそうです。

平安京の中央を南北に通ずる朱雀大路の左右に市場が出来て,その西の市町(現,下京市部町周辺)に味噌が初めて商品として出現したのも,この時代であって,その後,西の市町は湿地が多いため東の市町(現,下京朱雀分木町,中央市場)に合併されたが,当時の名物帖に志賀末醤,飛弾味噌等と共に山城白味嗜が記載されており,「京都白味噌」はすでに平安京の昔より永い歴史と伝統に育ぐくまれ今日に及んでいる。

少し前に、豆味噌と米味噌が登場したのはいつ頃か?という記事を書きました。豆味噌は奈良時代、米味噌の登場は、平安時代後期からということでしたが、米味噌のタイプについて区別していませんでした。

白味噌と赤味噌はどちらが先だったのかわからなかった

米味噌がつくれるようになるには麹が自由に使えるようになることが条件になるので、種麹が作れるようになってからだと思います。

同じ米味噌でも白味噌と赤味噌のどちらが先行したのか?今のところ分かりません。どっちなんでしょうね。わかったらこの部分は書き加えます。

贅沢な食材であったらしい

白味噌の方が高級?という感覚がよく分からないのですが、白味噌は正式な料理に使われる食材だったようです。私はあんまり食べたことがないですが、懐石料理の椀は白味噌ですね。確かに。

京都白味噌は当時豪奢を尽した王朝文化の産物として京都に発祥し,室町,桃山の茶道の隆昌に伴ない。普茶料理,懐石料理等の不可欠な料理材料として大いに民間にも賞味されるようになった。

この点一般各地の多塩味噌が貯蔵食糧として発達したのと全く趣きを異にして,その用途は味噌汁のみではなく,数多くの料理の材料に使用されている。

このような発祥の歴史的性格から今もなお,儀式に関する料理,たとえば婚礼,法要,等の料理に白味噌汁は不可欠なものであって,白味噌汁を配した料理を出す料亭は大旨格式も高く,料理も高級であると評価されている。また京都を中心として近畿各地の正月のお雑煮は白味噌を用い,特に京都のお雑煮の祝い方は多分に儀式的な面影を今に伝えている。

豆味噌に対して、米味噌は確かに風味がかなり違います。豆味噌はにおいが強く色が濃く風味も複雑な感じがする一方で、米味噌の方はあっさりしています。

あっさりして淡白な方が上品であるなら、白味噌の方が上品なのかもしれません。

白味噌は20割麹が標準

20割麹の味噌、丸の内タニタ食堂の減塩みそが人気で私も買っていますが、白味噌は標準割合が20割麹だったようです。文中に黄色いマーカーを引いた「50~60%」は、「5~6%」の間違いだと思います。そのように読み換えてください。塩分がそんなに強い味噌はありません。

京都白味噌に使用する主原料の標準割合は,米は20分麹で塩分は50~60%であり,多麹,薄塩である。

したがって熟成期間は短かく,夏で1週間,冬で10日間位であり,このように熟成期間が短かいため当然のことながら大豆の蛋白分解は望み得ず,原料そのものの風味がそのまま味噌の風味を大きく左右する、したがって原料は出来得る限り良質のものを選び,製麹には細心の注意と懸命の努力を尽している。

また熟成期間が短かいということは即,保存期間も短いということであって,これは京都白味噌の持つ宿命のようなものであり,常に需要に合せて生産を調整しなければならず,大量生産が不可能なゆえんである。

念のため、塩分量について調べました。本田味噌本店のサイトで、西京白味噌の成分分析表がありました。

西京白味噌 500g袋詰 - 本田味噌本店オンラインショップ
京都の老舗・本田味噌本店の公式オンラインショップです。「西京白味噌」京にあり。本田味噌本店の味噌は「西京味噌」「西京白みそ」として料亭をはじめ、ご家庭でも愛用されています。

みそ100gあたり食塩相当量が4.9g(つまり4.9%)なので、塩分「5~6%」で間違いないと思います。

NOTE

私は北国の生まれなので、赤味噌と信州味噌ばかりで育ってきました。白味噌は買ったことがなく、いままでに白味噌を使った味噌汁も、おそらく数度しか味わったことがありません。

ただ、このところ調べながら記事を書いているので、豆味噌から始まった日本の味噌が、麹を木灰を使って単独で取り出せる技術が生まれてから米麹が使えるようになり、技術が発展したことを学びました。

麹だけを取り出せるようになったことは、大きな発見だったと思います。

白味噌は間違いなくその後にできたものなので、甘く、見た目も白い味噌が、洗練されたものだったのだろうということは分かるようになってきました。

ところで、江戸味噌は、色は褐色ですが麹歩合が高い味噌です。白味噌と同じように1~2週間でできます。これはきっと京都の白味噌を手本にできたのではないかと思いました。色を濃くしたのは、京都の白味噌とは違う「自己主張」なのではないかと思います。

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