味噌玉作りは大豆に麹をつけるための方法

味噌玉は豆味噌づくりには欠かせないものです。外側にカビをつけて豆麹をつくるために必要なことでした。豆味噌は愛知県を中心とした中部地方の味噌ですが、味噌玉作りはもっと広い範囲で行われていました。味噌玉を作り、それに米麹を加えて作られた味噌は味噌玉味噌と呼ばれ、現在でも買うことができます。

今、味噌玉と検索すると、自分で味噌とだしと具を混ぜて即席味噌汁を作るためのレシピがたくさん出てきます。しかし、本来、味噌玉はそういうものではありません。

伝統食品の知恵を読みました。

豆味噌には味噌玉が必要

最も古くから造られ、味噌の原形とみなされるのが豆味噌であることは初めに述べたが、この豆味噌造りに必要な「味噌玉」は、韓国の「メジュ」の製法が伝えられたものとされている。

メジュとは、大豆を蒸煮(じょうしゃ)し、冷える前に搗(つ)きつぶしてから、人の頭の大きさ、またはレンガ状に成形してわら縄で結び、屋内に二~三ヵ月吊り下げて乾燥させながら、わらや空気に由来する野生のカビや乳酸菌を生やした固形麹のことである。(中略)

私は韓国料理をあまり食べたことがないのでメジュを初めて知りました。ウイキペディアでメジュを調べると、記事の他に画像もあり、カチンカチンに固まったレンガみたいに見えます。

味噌玉作りの伝統は東北から関西まで広く分散している

味噌玉から作られる豆味噌は、ほぼ、東海地方だけなのかと思っていましたが、東北から関西まで意外と広く分布しています。

当時の味噌玉作りの詳細を知り得る記録や資料はないが、今なお一部地方(たとえば、岩手県北部、宮城県陸前本吉(もとよし)地方、長野県安曇平(あずみだいら)、木曽、佐久平(さくだいら)、北信の西山地区および奥信濃、京都府丹波の平坦地域の一部、三重県伊賀盆地など)で造られる農家の自家醸造味噌(大豆と塩だけで造り、「玉味噌」と称する)用の味噌玉が、昔からの方法を伝統的に受け継いできたものと思われる。

味噌玉で画像検索してみると、いくつか出てきました。

里山文庫というサイトの唐臼で搗く、麹を使わない天然発酵の「味噌玉」づくりこれは奈良県の話です。味噌玉をそのまま味噌にしています。

唐臼で搗く、麹を使わない天然発酵の「味噌玉」づくり
有機農業、自家採種、在来野菜、手仕事、里山、食や農をめぐる旅

丸ごと小泉武夫食マガジンの青森の幻の調味料!「南部玉味噌&すまし」現場レポートこちらも味噌玉をそのまま味噌にしています。

青森の幻の調味料!「南部玉味噌&すまし」現場レポート
かつて青森県の南部地方で作られていた「南部玉味噌」と「すまし」。現在このような味噌づくりをしている人はほとんどいないそうですが、旧南郷村(八戸)にある「山の楽校」が再現に取り組んでいます。現地を訪問し、作り方を体験してきました。 南部玉味噌とは、2月の寒い頃、大豆を蒸して潰し、大きなおだんごのようにまるめ、藁を編んで藁...

長野県須坂市の糀屋本藤醸造舗のサイトにあった味噌玉仕込み出来上がりの味噌を見ると米麹を合わせて作っています。

信州味噌 糀屋本藤醸造舗|本物の味を手造りで醸し続ける蔵
円錐状に成形するみそ玉は昔ながらのみその造り方です。 濃厚で深い味わいが楽しめ、長年愛されている種類。 ファンの方も多く、クセになる不思議な魅力のある味わいです。 たまには気分を変えて、いつもと違う味でお料理はいかがでしょうか。 みそ玉はこの時期だけの生産となりますので、春の仕込みにぜひご利用ください。

長野県松本市の萬年屋のサイトにあった伝統の味噌玉作りこちらも出来上がりの味噌を見ると米麹を合わせて作っています。純粋な豆味噌ではありません。

伝統の味噌玉作り | 信州松本城下町の老舗味噌屋|萬年屋
= 日本の気候と微生物が織りなす濃厚な風味 =<日本最古 1300年前の製法>味噌は今から1300年ほど昔、大

そして、豆味噌といえば八丁味噌。まるや八丁味噌の八丁味噌の造り方を見るとやはり味噌玉を作り麹を植え付けて豆麹として、それを仕込んでいます。

八丁味噌の麹造り | 株式会社 まるや八丁味噌

味噌玉を作るのは枯草菌対策

少し前に画像が入った記事をいくつか紹介したので、以下の説明はよく理解できると思います。なぜ玉にするのか?それは枯草菌に侵されないようにするためです。納豆菌も枯草菌の一種です。大豆に付きやすく、酸素が必要な好気性の細菌です。

玉にすれば、酸素がないので枯草菌は内部まで侵入できません。外側だけカビ(麹)を生やして、後に味噌となる大豆の栄養分を枯草菌に分解されないようにしていたのでしょうね。

すなわち、農閑期に大豆を煮て臼で搗き(あるいは大きな桶にあけて、味噌踏み用のわら靴を履いた男が踏みつぶし)、小児の頭大か両手にあまるくらいの大きさ(あるいは長方形)の玉を作り、縄で縛り、連ねて、軒下あるいは炉端などに吊り下げておく。

味噌玉の表面には白、青、黄、赤など各種の色のカビが生え、自然乾燥で玉にはヒビ割れが入る。途中で玉を割って、新たな破砕面にカビを生やす。春先までおいてから、軒下の味噌玉を下ろし、まずタワシで洗って表面のカビをよく落とす。これを一晩水に浸け、再び臼で搗き、食塩を混ぜてから種水(たねみず)を加えて桶に仕込んでいる。

わが国の麹で、米麹や麦麹は粉状の「バラ麹」であるのに、大豆を麹に作り上げるには、なぜ玉状にするのかについては次のような理由がある。

バラの蒸し大豆は枯草菌(納豆菌に似た大豆の腐敗菌)に侵されやすい。味噌玉にすれば、玉の内部では乳酸菌がよく増殖して乳酸を作り、枯草菌は抑えられ、表面と割れ目に沿ってはカビが生えて酵素を生成する。味噌玉は大豆を安全に麹に作り上げるために、先人が案出した合理的で巧みな操作といえよう。

吊り下げるのは、きっと、カビを呼び込むための工夫なのだと思います。

それにしても「白、青、黄、赤など各種の色のカビが生え」ても食べ物にしようという熱意というか、先人の試行錯誤の結果には頭が下がります。

私、小学生の頃、食べ残していたパンを机の中に入れて置いたら忘れてしまい、しばらくして独特のにおいと「白、青、黄、赤など各種の色のカビが生え」た状態になっていて、おそろしかったです・・・。

味噌玉と米麹を使った味噌玉味噌

上にリンクを貼った糀屋本藤醸造舗と萬年屋の味噌は、味噌玉を作り、その後米麹を合わせて味噌を作っていました。このような味噌は、味噌玉味噌というのだそうです。

米味噌造りにも味噌玉が用いられてきた。いわゆる「味噌玉味噌」と呼ばれるもので、味噌玉と米麹を併用して造られる。たとえば信州(長野県)でも、かつては味噌玉を用いた味噌造りが広く行われていたが、約三〇年前からほとんど姿を消し、現在ではわずかに松本市周辺に次のような伝統的な味噌玉味噌が見られるのみである。

この地方が特に寒冷で湿度も低い四月から五月上旬の約一ヶ月の間に、煮熟大豆を三五℃まで冷却後、一〇×一〇㎝の立方体または円柱を基本とした味噌玉に作り、約二〇日間室温に放置する。この場合、玉の表面には自然にカビが生えるが、酵素の生成はほとんど期待できず、蒸煮大豆に増殖しやすい雑菌(枯草菌)を抑制し、乳酸菌を優勢に増殖させて乳酸を多く作り、味噌に独特の風味を与えることが目的である。

仕込む際には、玉表面のカビをタワシで水洗いして、米麹と塩を半切(はんぎり 桶)の中に入れ、わら靴を履いて踏み込んで混合して仕込み、約一年間熟成させる。

長野県須坂市の糀屋本藤醸造舗の味噌だけ、楽天に取扱いがありました。(ふるさと納税ですけれども)

NOTE

今回参考にした伝統食品の知恵ですが、農文協の本だと思ったら、柴田書店の本でした。料理関係の出版社で、いつも見ているがっちりマンデーに、月刊食堂の編集長さんが出て来るので出版社の名前は覚えていました。

この本は、きっとたくさん売れる本ではないけれど、価値がある本です。電子化していつでも読めるようになるといいなと思いました。

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