江戸時代麹はどのようにつくられていたのだろう?

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江戸時代の有名な本草書、本朝食鑑にも麹の記事があり、つくり方が書かれていました。蒸米にカビを生やし、全体が黄カビになるのを待って使うようです。種麹は使わないのが意外でしたが、メモしておきます。

米麹

江戸時代、麹はどのようにつくられていたのだろう?

本朝食鑑1を読みました。この中に「麹」があったので、興味津々で読みました。

本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)は、人見必大によって江戸時代(元禄時代)に著された本草書です。詳しくはウイキペディアの本朝食鑑をお読み下さい。

精米した米にカビを生やしてひっくり返して黄カビになるまで待つ

少し前、米麹をつくる時なぜ蒸米を使うのだろう?を書いた時に、稲麹が種麹として使われていたことを書きましたが、ここでは出てきません。

精米した米にカビを生やして黄衣(きかび)になるまで待つのです。黄色は、麹菌の色です。

麹 和名は加無太刀(かむだち)。今は古宇志(こうじ)という。

[集解]源順(『和名抄』)は、「麹は朽(くさる)である。これを鬱(むら)して衣(かび)を生ぜしめ、朽敗せしめたものである」といっている。凡そ麹は、酒・醤(ひしお)・味醤(みそ)・香の物・諸の漬(つけもの)になくてはならないものである。

製法は、好い粳(うるち)米の春白(つきしらげ)したものを一昼夜水に浸して取り出し、水気が乾いたら甑(せいろう)で蒸して飯とし、これを薦蓆(むしろ)に攤(ひろ)げて一日露にあてる。木盤に盛って土窖(あなぐら)の中に置いて鬱(むら)させると、大抵三日余で白衣(しろかび)を生じるが、この時取り出して用いるものを俗に白麹(しろこうじ)という。

これは白醴(さけ)・一夜味噌の類を造るのに用いる。白衣を生じて後さらに一両日を経て、外面に黄赤衣を生じると、すっかり傾飜(ひっくりかえ)して、内面のまだ衣の生じていない処を露(あらわ)にし、そこにも黄衣(きかび)を生じるのを候(ま)って、また同じようにひっくり返すこと数回。

こうして内外一様に黄衣を生じるまで置くのである。我が国では、惟(ただ)粳米の麹だけを用いて、二麦の麹を用いない。

和名抄とは、和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)のことです。平安時代中期に作られた辞書である。承平年間(931年 – 938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。詳しくは、ウイキペディアの和名類聚抄をご覧下さい。

春白(つきしらげ)とはだいたいわかると思いますが、精米したという意味です。

白麹とは、現在酒造りに使われる白麹と同じものかどうかわかりません。現在の白麹についてたとえば上善如水で知られる白瀧酒造のサイトには、白こうじの秘密というページがあります。白麹を使うと酸味があるお酒ができるそうです。

一夜味噌は、山吹味噌のサイトに一夜味噌のページがありました。残念ながら白麹とは書かれていませんでした。

一晩で簡単に出来ることから付いた名で、昔、農家で造られたものと考えられています。大豆1、米麹1、食塩0.5くらいの割合で造られました。

まず大豆を軟らかく煮て潰し、そこに麹を加えてよく混ぜます。これをだんご状にしてむしろで包み、暖かいところに半日から一晩置くと、粘りが出て味噌らしくなり、さらによくついて混ぜ、一晩たつと味噌になります。簡単そうなので、一度造ってみたいものです。

黄衣(きかび)は、黄麹菌のことです。味噌、醤油、清酒の製造に用いられる、一般的な麹菌のことです。ウイキペディアの種麹に説明があります。

NOTE

江戸時代中期、元禄時代に出された本朝食鑑での麹のつくり方。種麹を使わないので少し不思議な感じがしました。蒸米にカビが着くのを待っているのです。

ひょっとすると、蒸米を露に当てた後、じめじめした土窖(あなぐら)に置くと容易にカビが生えたのかもしれません。しかし、本当のところはわかりません。

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