北海道の味噌の特徴は熟成期間が長くなること

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北海道は江戸時代は味噌をつくることができず、明治時代が始まって官営の醸造工場ができたのがスタートです。その後良質な大豆ができるようになり、今やおいしい米ができる米どころでもあります。よい品質の味噌ができる条件が整っています。しかし、年間の気温が低いために熟成期間が長くなり、麹を多めに使ってつくっています。

味噌

北海道の味噌は、麹の使用量が多く長時間熟成させる

北海道の味噌の特徴はどんな感じなのだろう?北海道の歴史は、ほぼ明治から始まるといってよいと思います。他地域からの入植者が開拓して歴史が始まった地域がほとんどです。いろいろな地方から入植者が集まっていたので、果たして北海道としての特徴はあるのだろうかと思っていました。

味噌大全ではこのようにまとめられています。

北海道の味噌は赤色・淡色ともに麹の使用量が多く、長時間熟成させるという贅沢な作り方をしています。これが味噌汁はむろん、味噌ラーメン特有の濃厚なうまさの基盤になっています。

麹の使用量が多いというのは意外な感じがします。北海道は今でこそちょっとした米どころになりましたが、1990年頃は、まだ最低ランクの米しか収穫できなかったのです。

北海道の味噌は佐渡から来ていた

北海道の味噌の歴史を知りたいと思い、資料を探しました。味噌風土記-北海道を読むと、北前船が出てきます。江戸時代、佐渡味噌が北海道に運ばれていたようです。

徳川時代の蝦夷地と内地各藩との交通,交易は北前船(千石船ともいわれた帆掛船)によったもので,毎年春の彼岸も近づく頃大阪を出帆,兵庫・高砂・飾磨・相生・多度津・下津井・尾道・竹原・三国尻・馬関から日本海に出て,小浜・敦賀・塩屋・能登の福浦・伏木・直江津・新潟・酒田・土崎と寄って,それぞれの産物を積み込んで,目的地の江差まで行った。(中略)

米や味噌,醤油を始め一切の生活必需品は北前船が蝦夷地へ運んだので,佐渡味噌と北海道とのつながりはその当時からはじまったものと思う。

江差は北海道の南部、渡島半島にある函館から50キロくらいはなれた町です。生活必需品を持ってこなければならなかったのは、そもそも主食の米が穫れなかったからです。

北海道は米が穫れなかった

北海道の人は泥炭地と聞くと子供の頃習っているのでわかりますが、他の地域の人は分からないでしょう。植物が枯れても低温のために完全に分解されない湿地みたいな土地で、客土しなければ稲作ができないところが多かったのです。

味噌大全には次のように書かれています。

ご存知のように江戸時代は「米」が経済の主体であり、藩の経済規模は米の単位である石高(こくだか)で表されていました。(中略)

しかし、この当時蝦夷地では稲作ができず、松前藩の藩経営はアイヌとの北方交易で賄われていました。このため松前藩は「米」経済が基本の江戸時代にあって唯一の石なし大名でした。(中略)

このような事情もあったため、北海道は長い間味噌作りとは無縁の地でした。食されている味噌はすべて内地から取り寄せたものでした。

江戸時代、幕末の頃に味噌作りの機運が高まりましたが、結局、実現されなかったようです。北海道での味噌作りは、明治時代から始まりました。

開拓使による官営工場

明治時代になると北海道には開拓使が設置され、急激に近代化されます。開拓使とは人のことではありません。行政府のことです。

以前、サッポロビールは開拓使麦酒醸造所からという記事を書きました。

サッポロビールは開拓使麦酒醸造所から
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明治2年(1869年)開拓使が置かれ、たった7年後の明治9年(1876)には開拓使麦酒醸造所と北海道大学の前身である札幌農学校が開校します。開拓使麦酒醸造所は官営工場です。

開拓が始まり人が入って来ても食糧を含む一切の物資は道外から運んでまかなっていました。味噌は隣の青森県の津軽味噌と、佐渡味噌が主流でした。

明治4年に最初の官営工場ができる

味噌醤油の官営の工場の設立は早く、明治4年(1871)に最初の工場ができました。まず、道内に住む人に供給する必要がありますね。

味噌大全には次のように書かれていました。

北海道での味噌作りは、産業振興を図りたい明治政府の肝入りではじまりました。明治四年(一八七一)札幌郡篠路(しのろ)に味噌醤油醸造所ができたのを皮切りに、明治一〇年(一八七七)札幌市厚田通りに、明治一二年(一八七九)には札幌市東創成通りに味噌醤油醸造所ができました。いずれも官営の工場です。

このあと官営醸造所の払い下げが開始され、明治一五年(一八八二)には小樽で民間の醸造所が稼働しはじめました。

この後は、民間の醸造所が増えて行きました。

北海道の味噌は長期熟成にならざるを得ない

北海道に入ってくる味噌は、佐渡と津軽(青森)が主流でした。つくられる味噌も最初はそれらを真似たようですが、徐々に北海道らしい特徴がでてきます。

北海道味噌醤油工業協同組合のサイトにある北海道味噌とはには、このように書かれています。

北海道は気温が低い

北海道は冬が長く気温が低いですから、なかなか発酵が進まないのです。

北海道のみその製法は来道した杜氏による移入技術で始まりました。しかし、本州と同じ造り方では良い味噌にならず、 苦労に苦労を重ねて北海道独自のみそ造りをしてきました。

そして、その造り方に北海道の気温・湿度、水などの自然条件が大きくかかわって、 北海道らしい高品質なみそが造られてきました。半年が氷温に近く、盛夏でも平均気温22℃にしかならない冷涼な地であるため、長期の熟成や切返しを要し、すっきりとした芳香の温和な味が生み出されるのです。

長期熟成が必要なのは、気温が低いためなかなか進まないからです。これは凝った製法というよりも、必要条件になるでしょう。

そして、麹歩合はやや高く塩分は控えめという特徴を持ちます。麹歩合とは、大豆に対する麹の割合のことです。麹10割なら大豆と同じ重さ。麹20割なら大豆の2倍の重さを最初に仕込んでいるということです。

麹歩合を高めると、甘口の味噌になりますが、鹿児島の吉永醸造店さんの記事、みその味を左右する!みその麹歩合とは?を読むと、長期熟成についてこのように書かれています。

麹が多いと麹由来のでんぷんが糖分に変わり甘い味噌になります。でも、あまりに長い期間発酵熟成させると糖分が分解されてなくなってしまいます。(中略)

例えば、米麹を使用して造る辛口の米味噌の場合、5歩~10歩くらいで仕込む蔵が多いと思うのですが、2年ものの味噌とか聞きますよね?

それだけ長く発酵熟成させると、麹歩合の高い配合で仕込んでしまうと糖分が分解されてなくなってしまいます。さらに、麹歩合が高いということは、大豆の量も少なくなるので旨味成分も少なくなります。大豆の旨味成分は、時間が経って分解度があがるほど増していくので、長期熟成の味噌で麹歩合が低いのは、とても理にかなっています。

一般的な味噌をつくろうとしているのかな?

米麹が多いと糖分が多くなるのですが、糖分はヒトでも微生物でも真っ先に消費されます。長い時間かけて熟成させると糖分がなくなってしまうのはよくわかる話です。

また、麹(こちらは米麹でなく麹菌のこと)は糖化酵素だけでなくタンパク質分解酵素も出すので、麹が多く仕込まれると、大豆タンパクも早く分解するので味噌のでき上がりが早くなります。

北海道で味噌をつくると、気温が低いためにどうしても熟成期間が長くなります。普通の長期熟成味噌のように麹を少なくすると、(きっと)さらに熟成期間が必要になるでしょう。

米麹を多めにするのは、熟成期間が長くなっても塩辛い味噌にならないよう甘さが残るように配慮しているのではないかと思います。つまり、仙台味噌のような特徴を持った味噌でなく、ごく一般的な味噌をつくろうとしているように思えるのですが、どうでしょう?

NOTE

北海道で味噌を製造する場合、原料の大豆は調達しやすいですね。大豆の一大産地です。私も納豆をつくるためにいつも北海道の大豆を買っています。お米もいまはおいしくて人気がある米がたくさんできますから、品質に関して、北海道の味噌はよいものがつくりやすい環境が整っています。

また、低温で熟成が進みにくいことは時間がかかる代わりに、温度を上げて速醸するよりよいものができることは感覚的にわかります。

通販で取り寄せると北海道の味噌は高くつくので、北海道の味噌醸造会社の営業の方には頑張っていただいて、都内で置いてもらう店を増やしてほしいです。

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