日本酒の歴史を知るなら「酒は諸白」

私たちがいま飲んでいる日本酒は、奈良の正暦寺でつくられていた白米だけを仕込んだ諸白(もろはく)にルーツがあり、その後、灘で諸白の品質が大きく向上します。

「酒は諸白」には歴史と技術がとても詳しく解説されています。特に酒造りに興味がある方には、よい参考書になると思います。

酒は諸白―日本酒を生んだ技術と文化 (平凡社・自然叢書)を読みました。

平凡社のサイトを見ると、酒は諸白は、本体:2,602円+税とありますが、現在、品切れ・重版未定となっています。もったいない。こんな資料価値のあるよい本はまた復刊いや、重版してほしいです。

酒は諸白 - 平凡社
酒は諸白詳細をご覧いただけます。

日本酒の原型は僧坊酒にあり、灘で著しく品質が向上した

この本を読むと、現在の日本酒の原型は、奈良の正暦寺(しょうれきじ)で造られた「諸白もろはく」にあります。その後、酒の名産地として今でも有名ですが、灘で仕込み水を厳選することと精米歩合を低く(よりお米を白く磨くこと)することで、品質が著しく向上しました。

諸白とは、麹も米もよく精白したものを使ってつくった酒のことです。

お寺でつくる酒は僧坊酒と呼ばれ、品質がよい(つまり、うまい)ことで知られていました。特に正暦寺でつくられていた菩提泉は独自の技術を持っていました。

今の時代、精白米を酒造りに使うことは当たり前のことのように思えますが、昔はそれはなかなか手間がかかることだったようです。

正暦寺はもちろん現在もあります。

菩提山真言宗 大本山 正暦寺
菩提山真言宗 大本山 正暦寺は、別名「錦の里」、紅葉の名所として知られる自然豊かな寺院です。厄除け・護摩などのご祈願、人形・ご遺品などのご供養、仏教体験も執り行っています。美しい緑と澄んだ空気の中で、心洗われるひとときをお過ごしください。

菩提泉

菩提泉は、乳酸菌を増やす独自の工程を持っています。

室町時代、もしくは南北朝動乱時代

これからご紹介する話は「御酒之日記」に書かれていたものです。原本の年号は、長亨3(1489)年、または文和4(1355)年とあり、室町時代初期、あるいは、南北朝動乱時代のころの話です。

乳酸菌と酵母は協同して働きます。乳酸菌が増えると乳酸をつくるので酸性環境になり、雑菌が繁殖しにくくなります。一方、酵母はその環境が繁殖に適しているため、数が増えていきます。

現代とは違い、この時代、乳酸菌も酵母も発見されていません。乳酸菌は白米についていて、酵母は空気中にいると考えていただいてよいと思います。

下の文中に出てくる単位は次のように読みかえてください。

  • 1斗=10升
  • 1升=1.8L(リットル)

まず、白米一斗を水が澄むまでよく洗う。そのうちの一升を取って「おたい」(蒸米)に炊く。

夏ならば蒸米は十分に冷まさなければならない。次に、その蒸米を笊(ざる)に入れて冷まし、残りの白米が漬けてある中に埋める。

甕の口を包んで一夜放置する(このようにすると、乳酸菌の繁殖に必要な養分が溶出し、菌が繁殖しやすくなる)。

三日目に別の桶を傍らに置いて、乳酸酸性になった漬け甕の上澄液を汲み出し、ついで、浸し米の中に埋めておいた蒸米を取り出し、別にしておく。

次に、漬け米九升を取り上げて十分に蒸す。夏の季節には、蒸米は特に十分に冷ます。

米麹五升のうちの一升をさきほど別にしておいた蒸米と混ぜ合わせ、その半分を桶の底に敷くように入れる。

なお四升の米麹は蒸米(九升分)と混ぜ合わせて仕込む。このさい、前もって汲んでおいた水を一斗ほど計って上から汲み入れる。

さらに、さきほどの蒸米一升と米麹一升とを混ぜ合わせた残り半分を、もろみの上に広げるように置く。

これで仕込みが終わったので、甕の口を蓆で包んでおく。こうして七日もおくと酒ができる。なお、すぐに酒を必要としない時は、そのまま一〇日間くらいはおいてもよい。

甕は、「かめ」です。蓆は「むしろ」です。

読んでいると酒づくりは意外と簡単なんだなと思えます。かなりアバウトな感じがするのと、わずか7~10日でできるというのが面白いです。もっと時間がかかるものだと思っていました。この菩提泉、江戸時代には菩提酛とか水酛と呼ばれるようになります。

どんな味がするんだろうと興味が出てきますね。特殊なお酒なので手に入りにくいと思っていたら、身近で手に入りました。酒屋さんより自然食品店にあると思います。

菩提酛仕込み醍醐のしずくを飲んだ(寺田本家)
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このつくり方が洗練されて、諸白といわれるつくり方になります。

正暦寺の諸白(もろはく)

その後、「多聞院日記」という、1478(文明10)~1618(元和4)年の140年にわたる政治、経済、社会、宗教、文芸、医術、民俗などを記した本の中に、酒つくりについても書かれていました。

この中に出てくる正暦寺の酒は諸白と称され、次のような特徴がありました。

  • 白米の使用
  • 酘(とう)方式の仕込み
  • 酒母の育成
  • 上槽
  • 火入れ・殺菌

そうそう、忘れるところでした。

なんでお寺で酒をつくっていたんだろう?

これも解説しましょう。

まずはつくり方の特徴からご紹介しましょう。

白米の使用

玄米酒を飲むと、白米でつくった酒が、味も香りもとてもよいことがわかります。しかし、この時代、お米を搗いて白米にしても精米歩合は98.3%であり、玄米とほとんど変わりません。

今は機械がありますが、当時は臼と杵です。精米するのが大変だったのです。

諸白の特色の一つは、麹米・掛米ともに白米を使用したことである。このことがまた「諸白」の語源でもあった。

今日、清酒つくりでは、精米機でできるだけ米を白く搗くのは、米の外側にはタンパク質・脂肪など有害成分が多く、そのままでは色も濃く、香りも悪くなって、よい酒ができないからである。

白米の搗き減り具合は、今では

精米歩合(%)=(精米後の白米㎏数÷玄米㎏数)×100

で表わすが、この数値が高いほど玄米に近い白米ということになる。(中略)

往時、諸白つくりの酒米の精米歩合はどのくらいであったろうか。(中略)
もし、この数値に誤りがなければ、98.3%となり、ほとんど玄米に近い酒米を使っていたことになる。

精米歩合は風味に影響する

精米歩合が低く(よく米を磨く)なるほど、香りと味が洗練されていきます。

日本酒がお好きな方は、ラベルに印刷されている精米歩合を気にすると思います。私もそのクチです。必ず見ます。

安いお酒は精米歩合が高く、70%くらいあります。吟醸酒になるとせいぜい60%程度。大吟醸では50%程度まで磨かれます。

精米歩合が低くよく磨いたお米でつくった(値段も高い)酒は、一口飲むと、鼻に抜ける香りがよいです。そして酒造会社による味の違いを無視しても、口に含んだ時の雑味がきわめて少なくスッキリしています。

玄米酒を飲んでみたいですか?

玄米酒は、有名なむすひが知られています。

自然食が好きな方の間でよく知られています。発芽玄米酒ですが、寺田本家の「むすひ」です。酒屋さんより自然食品店に置いてあることが多いです。私は以前、豆乳ヨーグルトの種に使っていました。健康目的で飲む方が特に女性が多いと聞いています。

発芽玄米酒むすひと酒粕にぎり酒
寺田本家の発芽玄米酒むすひは強烈な個性があるお酒です。日本酒だと思って飲むとおいしくありません。発酵道を読んで、ヨーグルトの種に使ってみようと思いました。玄米を偽りなく発酵させるには発芽させる必要があったというところが面白いです。むすひの酒粕にぎり酒もなかなか強力みたいです。

一杯注いで口元に近づけると、玄米のぬかくささを感じますが、口の中に入れるととても体によいだろうなと思える味です。

ただし、普通の日本酒と並べて置かれたら、私は普通の日本酒を選びます。

酘(とう)方式の仕込み

酘(とう)方式は、何回かに分けて米麹・蒸米・水を入れる方法です。一度に全部入れてしまわないのは、酵母を増やしながら仕込みたいからです。今の日本酒の仕込みも同じように行われています。

並行複発酵

酘(とう)方式は、アルコール度数を上げます。お米を糖化しながら同時にアルコール発酵を行うのを並行複発酵といいます。

日本酒は醸造酒としては、世界一高いアルコール濃度(20%程度)になると知られています。しかし、普通にアルコール発酵させると、せいぜいビールと同じくらいの5%程度にしかなりません。ワインは補糖しているのでアルコール度数が上がります。

穀物だけを原料にアルコール度数の高いお酒をつくるには、何度かに分けて仕込む必要があります。

今日、清酒つくりの仕込方式は、発酵中の酒、つまり熟成酒母の中へ米麹・蒸米・水を添掛して、再び発酵させる酘(とう)方式である。

この方法はこれまでたびたび述べたように、酒母の中へ原料を初添・仲添・留添の三回に分けて仕込むので、三段掛法とか三段仕込法といわれている。(中略)

酘方式による段掛法あるいは段仕込法は、諸白つくりの重要な特色の一つであった。

菩提泉では、何回かに分けて仕込む手法はまだ確立されていませんでした。

日本酒の並行複発酵については、酵素資源余話-酵素のおもしろさを尋ねてでも書きました。

酵素資源余話-酵素のおもしろさを尋ねて
酵素資源余話―酵素のおもしろさを尋ねてを読みました。 著者の一島英治氏は東北大学の名誉教授でいらして、50年以上酵素の研究に携わってきた方です。この本は東北大学出版会から出ていました。本の内容はきっと専門書ほどむずかしくはないですが、私のよ...

酒母の育成

酒母は発酵のタネ。酛(もと)ともいいます。アルコール発酵に必要な酵母を増やす工程です。

これは菩提泉の時に説明した方法です。米の一部を蒸して水に浸した生米の中に埋めます。すると蒸米が生米についていた乳酸菌のエサになり、乳酸が酸性の環境をつくると、酵母が増殖を始めます。

最初に乳酸菌を増やす工程は中国で考えられたのかも

こんなことをよく考えついたなと思いましたが、ひょっとするとこの方法は日本人のオリジナルではなく、中国で考えられたものかもしれないという記述がありました。

中国・浙江省・杭州の酒屋、朱翼中が、一一一七(宋・政和七)年に実際の体験に基づいて著述したという「北山酒経」(下巻)に、「臥漿」(がしょう)といって菩提泉そっくりの酛つくりが記述されているからである。

同書によれば、臥漿は、まず小麦をかゆにして水に漬けておいて乳酸発酵を営ませる。次に酸性になった酢漿を仕込水として糯米(もちごめ)を仕込む。

この酢漿が酒つくりの根元で、酸味が足らないと酒はできないとある。ここで小麦を米に代えると、そのまま日本の菩提酛である。

上槽

できあがったもろみを酒と粕に分離する、搾る作業のことです。濁り酒ではないという意味です。

火入れ・殺菌

加熱殺菌のことです。「煮込み」といって、50~55℃まで加熱したとあります。パスツールがぶどう酒や食品の低温殺菌法を発見したのが、1865年。それよりも300年前に火入れをしていました。

しかし、この方法も中国で発見された方法かもしれないと書かれていました。

この方法についても、これが中世末期の日本人の独創であったかどうか何とも言えない。

中国の「北山酒経」には、一二世紀初期に江南・杭州で行われていた「火迫」(クワハク)とか「煮酒」のことが語られており、これが文献的には世界最古の火入れ・殺菌法と思われる。

なぜお寺で酒つくりが行われていたか?

さて、後ろの方になってしまいましたが、なぜお寺で酒がつくられていたのだろうという疑問。その答えは、お寺で、神様にお供えする御神酒をつくっていたのです。

御神酒はもちろん、神様にお供えするもので神社に必要なものです。寺の鎮守のために建立された神社にお供えする神酒をつくったことが始まりです。鎮守とは、特定の建造物や一定区域の土地を守護することです。(出典

いまでもお寺の境内に鳥居を見かけることがありますが、明治時代に神仏分離されるまでお寺と神社は近い関係だったようです。

寺院における酒つくりの起源は、一〇~一一世紀に興った本地垂迹説に基づく神仏混淆時代、寺内の鎮守社へ供御した神酒(みき)つくりに由来するといわれている。

ここで出てきた本地垂迹説(ほんじすいじゃく)とはどのような意味でしょう?

本地垂迹説

神様は仏の化身だとする説です。ウイキペディアにこのように説明されていました。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。(出典

これを読むと、お寺が御神酒をつくっていてもそれほどおかしくないと思えてきます。その後、お寺でつくる酒はお寺の収入源になるのですが、きっかけは御神酒づくりでした。

灘の諸白つくり

灘で諸白つくりが始まったのは江戸時代になってからのことです。

灘の諸白つくりは、『灘酒沿革誌』によると、寛永年間(一六二四~一六四四)、雑喉屋(ざこや)文右衛門が伊丹から西宮に移住して始めたと語られている。

この時代、精米に水車が使われるようになり、酒の品質向上に大きく寄与しました。

宮水の発見

酒つくりに適した宮水が発見されました。発見のきっかけは諸説あるようです。

灘の宮水は、一八四〇(天保一一)年、桜正宗の祖、六代目山邑(やまむら)太左衞門によって発見された。

太左衞門は、西宮藏でつくった諸白の方が魚崎藏のものより毎年優れているのを不思議に思い、魚崎蔵と西宮藏の杜氏を交替したり、あるいは両藏で同じ麹を使ったり、また同じ醸造法でつくるなどいろいろ比較醸造試験を行った。

ところが、いずれも期待するほどの好結果は得られなかった。そこで、試みに、西宮の井水を魚崎藏に運んで酒つくりをしたところ果たして美酒ができた。

さらに数年の間試験を重ね、ついに一八四〇年、西宮の井水を樽に盛り牛車四八輌を連ねて魚崎蔵に運んで酒つくりしたところ、「澄澈(ちょうてつ)ニシテ醇」なる諸白をつくるのに成功した。

この評判が立つと、これまで彼を狂人扱いにしていた連中までが、争って西宮の井水を引いて諸白つくりをするようになった。

水車精米

水車精米が始まり、精米歩合が下がり、よりお米を磨くことができるようになりました。これは大きな技術革新です。もちろん、酒の品質が上がります。

精米歩合65~77%まで可能になった

正暦寺諸白では白米といっても精米歩合98.3%でほとんど玄米でしたが、比較しようがないくらいの進歩です。

杵の上下数一分間に五〇~六〇回、一臼の米量一斗(一五㎏)の水車精米の場合には精米時間は酒母米で五〇時間以上、掛米で四〇時間内外であり、標準精白米は一応一割五分搗き(精米歩合八五%)であった。

天保年間(一八三〇~一八四四)には、灘五郎では水車精米の精米時間は四八時間、「搗滅ハ酛米ニ於テ二割三分余」(「灘酒沿革誌」)、つまり容量で二割三分~三割五分滅の白米が現われ、精米技術が飛躍的に進歩した。

今日、清酒二級の酒米の精米歩合が七五~七〇%であることを思い合わせると、水車精米による高精白米の出現が、灘酒の品質向上にいかに大きな役割を果たしたかが理解できるであろう。

精米歩合65%のお酒は、現在の酒税法では、本醸造酒もしくは純米酒に分類されます。吟醸酒は、精米歩合60%以下です。(出典

かなりいい線いってますね。

NOTE

日本酒のルーツは、お寺でつくられた僧坊酒、特に奈良の正暦寺でつくられていた諸白といわれています。僧坊酒は、もともと神社で神様に供える御神酒としてつくられていました。

正暦寺の諸白は、すべて白米を使うことと、蒸し米を使って乳酸菌を増やして酵母を増やす微生物学的に理に適った方法で酒母をつくっていました。

また、日本酒の特徴であるアルコール度数を高めるため、米麹・蒸米・水を何回かに分けて入れる酘(とう)方式を採用していました。日本酒は、醸造酒としては、世界一高いアルコール濃度(20%程度)になるお酒です。

江戸時代に灘で諸白づくりが行われるようになり、水質のよい宮水の使用と水車精米のおかげで精米歩合が下がり、品質のよい酒がつくられるようになりました。

日本酒について他にも記事を書いています。日本酒についての記事をお読み下さい。

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